あなたの「保活」はどうだった?通ってみて、お子さんの様子は?
- 川口敦子
- 4月25日
- 読了時間: 11分
更新日:4月27日

報道現場で、子育てと仕事の両立を目指して日々奮闘する皆さんに、「そこんとこどう?」を聞く企画「ウチらの子育て」です!この回では、「保活ってどうだった?」について3人の話を聞きました。それぞれの経験と知恵が、読んでくださったあなたの参考になれば幸いです。(聞き手・川口敦子=フリーランス)
【この回では、次の皆さんの記事を読むことができます】 (記事はこちら)をクリックすると、それぞれの記者の記事に飛びます。スクロールしていって、全員の記事を通して読むことも可能です。
![]() | 近隣の認可保育園に当初入れず、夫に自宅で子どもを見てもらいながら、私は職場に復帰しました。 (印南さんの記事はこちら) (プロフィール) 1990年生まれ。2015年に東洋経済新報社に入社し、流通小売業界、電機業界などの担当記者などを経て、2019年から『週刊東洋経済』の編集チームで勤務。2022年1月に長男を出産し、同3月に職場復帰。2024年5月に巻頭特集「女性を伸ばす会社、潰す会社」を担当。 |
![]() | ニュース番組で働く先輩ママから、待機児童の状況や保活の大変さについて情報を聞き、出産前から入念にリサーチを重ねて戦略的に保活を進めました。 (外山さんの記事はこちら) (プロフィール) 1980年生まれ。2003年テレビ朝日入社、夕方ニュース番組ディレクターを経て、経済部記者に。財務省、日銀、流通などを担当。2011年~2013年、ニューヨーク支局特派員。帰国後、2015年に長男を、2017年に長女を出産。2017年にABEMAニュースに異動。 |
![]() | 子どもの通う保育園は地域おこしの活動にも熱心で、さまざまな取材のきっかけになりました。 (プロフィール) 1992年生まれ。2017年、読売新聞大阪本社に入社。松山支局、今治通信部を経て、2023年から社会部枚方支局。2024年9月から社会部青灯(交通)担当。2022年7月、長男の誕生に伴い、2週間の育休を取得。 |
印南志帆さん
東洋経済新報社
近隣の認可保育園に当初入れず、夫に自宅で子どもを見てもらいながら、私は職場に復帰しました。

私は2022年1月に長男を出産しました。出産時、夫は大学院生という身分だったので、とにかく自分が稼がないと子どもを食わせていけない(笑)。そこで、育休は取得せずに産休だけで職場復帰しようと、子どもを保育園に入れるための活動、いわゆる「保活」をしました。ところが、近隣の認可保育園に入れないという事態に陥ったのです。
近隣の認可保育園に入れなかった理由は、行政の当時のルールにありました。認可保育園の入園申請に当たっては、保護者の就労や介護・看護などの状況などによって「利用調整の指数」という点数が定められます。保護者が希望する認可保育園に入れるかどうかは、この点数などが考慮されて決まるのですが、わが家の点数は夫婦ともフルタイムで働いている場合よりも、8点も低いという計算になりました。 長男の誕生当時、夫は大学院に在籍しており、毎日夜遅くまでハードに研究していたものの、当時のルールで「学生」の指数は「月16時間就労のパートタイマー」と同じ扱いだったためでした。区役所のホームページで、通える範囲の保育園に入れた家庭の指数の最低点を確認すると、どこもわが家よりはるかに高い点数でした。
私は記者として保育業界の取材をしており、利用調整についてはある程度理解しているつもりでした。しかし、夫が学生だからという理由で、こんなに点数が引かれるということは予想していなかったのです。
結局、長男が0歳3カ月になった2022年4月時点で認可保育園には入らず、夫に1ヶ月間ぐらい自宅で子どもの面倒をみてもらいながら、私は職場に復帰しました。5月になって、ようやく入れる認可外の保育園が一駅離れたところで見つかり、九死に一生を得る思いでした その後、夫が大学院を修了して任期付きの研究員(PD)になり、保育園申請の指数が自営業と同等の扱いになったので、長男が1歳になった2023年4月には認可保育園に移ることができました。
保活をしていた当時、区役所には何回も電話したり面談したりして、「大学院生は実際はすごく忙しい」と伝えたのですが、そのときのルールでは「学生」ということで大幅に点数が引かれてしまう。私は納得がいかず、区長に改善を求める意見を送りました。最近、入園申請資料を見る機会があったのですが、なんと最新の利用調整では、「学生」でも就学時間が長い場合には点数が高くなるように、指数の付け方が変更されていました。私が意見を送った意味があったかなかったのかは不明ですが、区長に意見した甲斐がありました(笑) この先の進路については迷います。『週刊東洋経済』で受験特集を出したときには、フルタイムで働くお母さんたちから、リモートワークで仕事をしながら小学校受験を成功させたという話を聞きました。小学校受験や中学校受験では、保護者の伴走が求められ、受験をするのであれば一定程度、仕事に折り合いを付けることが必要になります。私のキャパで、今までのように魂を込めて記事を作るということと、子どもに小学校受験をさせることを果たして両立させられるのか、深く考え込んでしまいました。
今ですら、私が保育園に迎えに行くときは、自分なりに頑張って早く仕事を切り上げて職場を出るのだけれど、到着したころには他の子どもたちは帰り、息子は一人でお絵かきして待っています。日ごろから「母親としてはこうあるべきだ」と自らを縛らないようにしようと心がけているのですが、それでも子どもを待たせてしまったときには罪悪感を持ってしまう。私なりの両立の仕方については試行錯誤が続いています。

印南さんの記事は、下記の回でも読むことができます。
「女性初の○○」を超えて、組織の「ど真ん中」で働き続けるためには?
もうちょっと遅くまで残れるかな…。出張どうしよう…。仕事の進め方ってどうしてる?
まだ原稿を書き終わっていないのに、子どもが急病に!こんなとき、あなたはどうした?
外山薫さん
テレビ朝日
ニュース番組で働く先輩ママから、待機児童の状況や保活の大変さについて情報を聞き、出産前から入念にリサーチを重ねて戦略的に保活を進めました。

2011年から2013年まで、テレビ朝日ニューヨーク支局特派員として働いた私は34歳で帰国し、縁があってすぐに結婚。2015年11月、35歳で長男を出産しました。それまでは、早回しの「倍速」のようなスピード感でキャリアを積んできましたが、「自分の人生のなかで、いつかは子どもがほしい」と思っていたことも事実。出産に伴って仕事をいったんシフトダウンすることになり、「すごい勢いで働き続ける同僚に申し訳ない」と思ったのと同時に、出産と育児は、仕事人間だった自分が初めて立ち止まるきっかけにもなりました。
私が育休をとったころは、「保育園に落ちた、日本死ね」と題した匿名ブログが話題になり、待機児童問題が国会などでも取り上げられていました。テレビ朝日のニュース番組で働く先輩ママから、待機児童の状況や保活の大変さについて情報を聞き、私は出産前から入念にリサーチを重ねて戦略的に保活を進めました。
まずは、いかに保育園の席を確実に抑えられるかが肝心です。当時、私の住んでいる所では、認可保育園の1歳児クラスに子どもを入れるのは難しく、激戦でした。子どもが1歳になる年に復職を目指す女性が多いために、希望者の数が保育園の定員数を上回り、希望する保育園に入れない事例が多くあったのです。そこで、私は認可保育園の1歳児クラスではなく、まだ定員に余裕があると思われた認証保育園(東京都独自の制度で設置された保育所のこと)のゼロ歳児クラスへの4月入園を目指すことにしました。
まずは情報収集です。長男を出産する前から、いくつもの保育園の施設を実際に見学し、Excelで五段階評価を作成。保育士さんの雰囲気、自宅からの近さ、安全面、費用などが一覧して分かるように点数化し、さらに気になった点についてコメントもつけました。
見学を重ねるなかで、ある認証保育園に好印象を抱きました。規模は小さいのですが子どもの面倒見がよく、玄関に入った瞬間に保育士さんから「こんにちは!」と挨拶がある、その雰囲気が「いいな」と思ったのです。「ぜひこの保育園でお世話になりたい」と考えた私は、見学に行った数日後、手書きのお礼状を書きました。記者の皆さんが、取材先の方々にお礼状や年賀状を書くのと似ていますね。すでに取材です(笑)
手紙を書いた甲斐もあってか、長男はこの保育園に通うことができるようになり、私にも、同じく戦略的に保活をしていたママ友ができました。長男は後に別の保育園に移ったのですが、今でも折に触れて公園に集まったり、ママ友同士で飲みにいったりすることもあるぐらい仲が良いです(笑)。それぞれ働く会社は違えども、みんな働くママで、情報収集して戦略的に動くところが似ていると思います。
2017年12月には第二子となる長女を出産し、いまや長男は小学3年、長女は小学1年になりました(2025年2月段階)。日々の生活で助けられているのは、週1回、決まった曜日にお願いしているベビーシッターさんです。毎週夕方、同じシッターさんに学童へ迎えに行ってもらい、夜に夫が帰宅するまでの間、一緒に遊んだり、宿題をしたりしているので、子どももすっかりなじみました。
シッターさんは60代の方で、ご自身のお子さんたちはほぼ巣立っていって、「さみしい」と感じていらっしゃったそうです。シッターさんが、うちの子どもと一緒に風船をふくらませて遊んでくれて、「もう人生でこういう幸せに満たされた時はないだろうと思っていたのに、もう1回子育てができて嬉しい」と言ってくれたときには、親でも先生でもない第三者が、子育てに伴走してくれるありがたみを感じました。
子どもも、私には直接言わないことを、シッターさんに打ち明けるほど心を許しているようです。先日、「うちのお母さんはすごいんだよ、お仕事も頑張っているし、一緒にケーキを作ってくれて」と言っていたと、シッターさんがこっそり教えてくれました(笑)

外山さんの記事は、下記の回でも読むことができます。 「女性初の○○」を超えて、組織の「ど真ん中」で働き続けるためには?
福永健人さん
読売新聞大阪本社
子どもの通う保育園は地域おこしの活動にも熱心で、さまざまな取材のきっかけになりました。

2022年に長男が生まれてから半年で転勤辞令が出て、愛媛県から大阪府に引っ越しました。もともと子どもが1歳になる年に保育園に入れようと考えていたのですが、異動が決まった時には、既に引っ越し先の「認可保育園」の申し込みは終了していました。 私は当初、素人考えで「なんとなく『認可』という名前が付いている方がいいのかな」と思い、妻も引っ越し先の保育園事情を気にして、市役所に電話をするなどして調べていましたが、結局決まったのは「企業主導型保育」といわれる保育所の一つでした。最初こそ「『認可』でなくて大丈夫なのかな」と少し心配もしたのですが、息子の通う保育園では、とてもきめ細かく子どもたちの面倒を見てくれています。
保育園の連絡帳には、「○○くんがこんなことを言えるようになりました」「ちゃんと座ってご飯を食べています」などと日々の様子を書いてくれて、さながら私たちとの交換日記のようです。トイレトレーニングなど日常のしつけもしっかりしてくれたので、保護者としては楽をさせてもらいました(笑)
2023年から2024年にかけて枚方支局に勤務していた時には、保育園の送りは基本的に私が、迎えは妻が担当していましたが、週に1、2回、妻の帰りが遅くなるときには、私も迎えに行きました。保育園への出入りが多いことで覚えられたのか、息子が1歳だった2023年12月のクリスマス会では、サンタクロースの役割を演じるように保育士さんからリクエストを受けました。

クリスマス会の当日、私が全身サンタクロースの衣装をまとって登場したところ、子どもたちが大歓迎してくれて「こんなに喜んでくれるものなのか」と嬉しかったですね。それと同時に、「保育園の先生たちは、いつもこんな目線で子どもたちを見てくれているのかな」と保育士側の気持ちを少し理解することもできたように思います。 息子が通う保育園は、保育事業以外にも、近くの八百屋さんや本屋さんと一緒にイベントを実施したり、定期的に子ども食堂を開催したりするなど、地域おこしの活動にも熱心に取り組んでおり、記者の私にとって、さまざまな取材のきっかけになりました。面白いなと感じたのは、子ども食堂に地元の子どものみならず、高齢者も招かれていて、ひとり暮らしの高齢者が地域の人々とつながるきっかけになっていたことです。息子の通う保育園をきっかけにして「地域は今こうなっているのか」と知る機会になり、記者としても目を開かされる思いでした。 福永さんの記事は、下記の回でも読むことができます。 育休取りたい!いつ、誰にどういう風に相談した?実際、取ってみたらどうだった? まだ原稿を書き終わっていないのに、子どもが急病に!こんなとき、あなたはどうした?
Comments