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  • 中村美奈子

ひとり親の経験 報じる力に〈上〉

河田実央さん(テレビ朝日)


テレビ朝日報道局ニュースセンター政治部で与党取材の要となる平河キャップ、河田実央さん(40)は、小学生の長女を育てるシングルマザーだ。仕事と育児に注ぐエネルギーがシーソーのように振れ続ける日常という。テレビ報道の中枢に身を置きながら、ひとりでどのように家庭を回しているのか。習い事からZoom活用術まで、河田家の育児にはピンチを切り抜けるヒントが詰まっている。(聞き手・中村美奈子=元毎日新聞記者)


 ――平河キャップというのは与党担当キャップのことですね。どんな仕事ですか。

 河田実央記者 与党原稿の出稿方針を立て、出稿をとりまとめる仕事です。政局が動いた時には、中継もやります。デスクにも週1日入っています。

 本来、キャップは政局を語るのが醍醐味だと思いますが、私は番組の経験が長い分、どの番組でどう伝えるか、政策をどう考えて伝えるか、という目線付け(注目点の指示)や、その仕切りを重視しています。

 11年ぶりに戻った政治部の現場は、時計の針が止まったままのところと、変化に目を見張るところが入り交じっています。たとえば女性議員が増えたこともあって、自民党にも選択的夫婦別姓に賛成派が増えてきました。


「報道ステーション」初の産休

 

 ――入社後の経歴を教えてください。

 河田さん 2004年に制作局の社員として入社し、振り出しは夕方のニュース番組「スーパーJチャンネル」でした。アシスタントディレクターからディレクターになった2005年に政治部に異動し、小泉純一郎首相時代に総理番として郵政解散を経験しました。2006年から2年間、自民党国対(国会対策委員長)番を務め、2008年に「報道ステーション」に異動しました。出産したのは、2011年です。「報道ステーション」はベテランの男性社員が多く、私はここで産休、育休を取った初めての社員でした。

 1年4か月休んで2012年4月に職場復帰しましたが、配属先は「スーパーJチャンネル」でした。「報道ステーション」の勤務時間は午後1時から深夜の零時までです。一番忙しいのは午後5時から。「スーパーJチャンネル」の勤務は午前9時半から午後7時までで、午後5時までかかわれば番組の大半にかかわれます。番組によって働く時間帯が違うため、復帰当初は夜の番組には戻れませんでした。

 2013年に「報道ステーション」に戻り、ディレクターとして政治を担当して、秘密保護法、共謀罪、集団的自衛権などの国会審議を担当しました。特集には力を入れました。ジュネーブでの核兵器禁止条約の交渉入りを現地取材したり、憲法9条の誕生秘話を調査報道したり、慰安婦報道の検証に携わったりしました。女性の上司が働き方を柔軟にしてくれて企画を作り続けられました。

 番組のディレクターからデスクになった後、2019年、政治部に戻り、野党キャップを3か月務め、政治部デスクになり、2020年10月から与党担当キャップをしています。


 ――お子さんはいつ保育園に入れたのですか。

 河田さん 育休明けの職場復帰と同時に、1歳2か月で午後7時15分まで見てくれる公立保育園に入れました。私はクリスチャンなのですが、たまたまキリスト教系保育園に空きが出て転園できました。転園先は午後8時15分まで預かってくれました。

 ――二重保育(保育園での保育の後、自分が帰宅するまで誰かに預かってもらうこと)はどうしましたか。

 河田さん 育休明けに「スーパーJチャンネル」に復帰した時は勤務時間を抑えて働いて、二重保育なしで育てました。その後「報道ステーション」に異動してからは二重保育を手配しました。シッターさんに週3回、午後8時15分から深夜零時まで預かってもらいました。保育園で夕食を食べさせてもらって、閉園頃にシッターさんが迎えに行き、午後10時に寝かしつけてもらいます。2013年に離婚後、仕事を確立させたくて泊まり勤務や祝日勤務をやっていたので、実家の母によく上京してもらっていました。「報道ステーション」にいた時は年1回、海外出張に1週間ほど行っていましたが、その間も母に見てもらっていました。

 「小1の壁」と言われますが、保育園より小学校の方が大変です。午後3時に家に帰ってきますから。


Zoomで「遠隔シッター」


 ――娘さんは学童クラブ(小学生対象の放課後の保育施設)には行っていなかったのですか。

 河田さん キリスト教の私立小学校に入学しましたが、放課後の保育が大変です。私立小には学童がありません。公立小学校内にある学童に行かせましたが、うまくなじめず、すぐに娘が「(学童に)行きたくない」と言い出しました。民間の学童は夕食付きだと月10万円もします。費用がかさみ過ぎるため、シッターさんを午後7時半から頼むことにして、それまでの時間帯は娘に毎日習い事をさせました。半ば強制で「やってみたいよね?」と持ちかけましたね。

 月曜と木曜が公文の学習塾、火曜が歌のサークルとピアノ、水曜と金曜がそろばん、だったかな。英語もやっていました。ところが、2年生になって習い事に行かなくなりました。1人でのんびりしたかったのでしょう。1日おきにしたいと言い出し、友達と遊ぶ時もありました。今は火曜がピアノ、木曜がテニス、通信で公文、月1回サイエンス教室に行かせています。

 ――シッターさんはどこに頼んでいますか。長く頼んでいると家族のようになりますが。

 河田さん 会社のシッター券が使えるベビーシッター会社に、女性の方を頼んでいます。政治部の取材はある程度政治日程がわかっているので、週の見立てをつけてシッターさんを予約します。

 保育園の時からお願いしている50代の女性には非常に助けられています。娘はアニメが好きなのですが、アニメに詳しくて本もよく読んでいる方で、「アニメの原作本はこれだよ」と教えてくれたり。娘は「ママと話すより楽しい」と言っています。大学生のシッターさんにも昨年度まで2年間見てもらいました。

 小さい頃は岡山県の両親、都内に住んでいた姉にもずいぶん助けてもらいました。今は和歌山県にいる私の友人夫婦も娘の相手をしてくれます。娘は勝手にZoomでやりとりしています。友人夫婦は無条件にかわいがってくれるので、娘はうれしいようです。

 実家の両親には去年4月から、Zoomで遠隔シッターをしてもらっています。娘と両親がそれぞれパソコンでZoomの画面を立ち上げて、画面越しに一緒に夕食を取るのです。娘は学校であったことなどをいろいろと祖父母に話し、私が帰宅したら「ママが帰ってきたから切るね」と画面を閉じています。

 ――Zoom夕食会ですか。これはすごくいいですね。

 河田さん 娘が小1の時、見守り用のカメラ付きロボットを家に置いていたのですが、すぐにいやがって電源を切っていました。見られているのがいやだったのでしょう。


シッター代、月10万円以上

 

 ――ベビーシッターの料金は、会社の補助がどれくらい出ますか。

 河田さん 子どもが小学3年までは1回2200円の補助が月24枚出ます。2017年の労使交渉で実現しました。1時間300円と700円の補助券もあり、1回の利用分で3000円ほど補助が出ます。月額上限1万円で、病児保育の料金の半額補助も導入されました。

 かなり出ますが、それでも「報道ステーション」にいた時は、シッター代だけで月10万円以上かかっていました。

 ――病気の時は病児保育に預けたのですか。

 河田さん はい。定員に空きがある時は預け、午後5~6時に迎えに行っていました。3歳くらいまで、2か月に1回は発熱していて、ベビーシッター会社に病児保育ができるシッターさんを頼む時もありました。3~4歳になってからは、発熱初日は仕事を休みました。2日目からは、病児保育ができるシッターさんを頼んでいました。娘の熱が出た日に会社を休む方が治りが早かったです。

 「報道ステーション」で初デスクの日、娘が8歳の頃でしたか、急に熱を出し、シッターさんに病児保育を頼みました。受診の付き添いから家での看病までやってもらって、ありがたかったです。

 ――緊急事態宣言が2回ありましたが、在宅勤務でしたか。

 河田さん 1回目の時は、会社が出社人数をかなり抑えていたので、在宅勤務で娘と家にいることが多かったです。2回目の今年は在宅勤務はほとんどありませんでした。

 コロナの影響で夜の会食がなくなって仕事が減り、今はシッターさんを頼まずにやっています。

 ――夕食はどのように準備していますか。

 河田さん 毎日手作りしています。冷凍食品は使っていません。夕食を食べさせるのをシッターさんにお願いしていた時は、週末にまとめて作って冷凍しておき、チンしてもらえるようにしていました。今は朝5時台に起き、夕飯を作って出かけています。私の母親が冷凍食品を使わなかったので、影響を受けたのだと思います。

 ――すごいですね。でも、どこかで手を抜かないと身がもたないのでは。

 河田さん 実際は失敗だらけです。娘にはずいぶん無理をさせました。小学校に入学後は、一人で習い事に行かせ、一人で飛行機に乗って岡山まで往復させました。無理をさせすぎたのか、今になって「ママといたい」と言う場面が増えたり、ちゃんと悩み事を聞いてあげないと切れて爆発してきたり……。

 2016年に、ジュネーブで核兵器禁止条約の交渉入りの過程を1週間取材した時、娘を岡山の実家に預けたのですが、帰国してから母に「泣かずにお利口さんだったよ。でも、テレビでママの姿を見たら、喜ぶんじゃなくて、『ママ~、抱っこして~』と泣いたよ。切なかった」と言われました。これは刺さりましたね……。

 ――……涙が出ますね。

 河田さん でも、さみしい思いをさせたんじゃない、娘は一緒にいてくれるおばあちゃんがいて幸せ者だし、ママはその分、伝えるべきことを伝えられた、これが河田家です、と割り切って、今でもそれで良かったと思っています。助けてくれる人にとにかく感謝して、自分の仕事へのエネルギーを誇りに思って押さえつけないことですね。


誇りをもって育てる

原稿をチェックする河田さん

 ――仕事と育児でエネルギーのバランスをどのように取っていますか。

 河田さん 精神的なバランスを取って、一番気持ちのいい状態を探します。仕事のストレスを最大にはしない。がんばりすぎると行き詰まるので、行き詰まりそうになったら育児の方向にエネルギーを振り向ける。シーソーが振れながら、止まることはないという状態ですね。

 ――振り切れる手前で加減して、中心点でこぎ続ける。そんな感じなんですね。報道という仕事と、シングルマザーとしての子育ては、どちらかをやるだけでも並大抵のことではありません。河田さんにとっては、仕事と子育ては邪魔し合うものではないんでしょうね。シーソーをこぎ続けるエネルギーはどこから来るのですか。

 河田さん 元々、弱い人を助けられる報道を志していましたが、シングルマザーの経験も大きかったと思います。養育費の問題、面会交流の問題にぶつかり、勤務時間を抑えて働いていたので金銭的にも非常に困りました。家賃と保育料を払うと生活費がおぼつかず、食費を削るか、教育費を削るかと頭を悩ます日々が情けなく、疲弊していました。

 行政が何もしてくれない、相談するところがない、誰も助けてくれないと思ったり、楽しそうな親子を見るのが苦しくて外に出るのもつらくなったり……。人はこんなに簡単にどん底に落ちるんだとその時初めて知りました。急にみんなの手から抜け落ちて、這い上がれなくなることがあると。事件、事故でも起こりうることで、その人を責められる話ではありません。

 ですから、ことさらに「自助」を掲げる政権には違和感があります。そんな経験が社会への見方を変えて、伝えるエネルギーにもどんどん変わったんだと思います。

 仕事と育児の両立で、後輩たちに言えるとしたら、人と比べない、自分の家庭と仕事に自信を持つこと、でしょうか。シングルマザーであることを誇れるように、自分の家はこうだと娘も自信を持って話せるように育てようと決めていました。仕事の成果はよく見せて、職場にもあえて連れて行きました。

 ――きっと伝わっていますよ。ロールモデルはいますか。

 河田さん 子育て環境はそれぞれなので、真似できるようなロールモデルはいないかもしれません。ただ尊敬する女性の先輩を見ていると、やりたいことを実現させるためには肩書が必要だ、とつくづく思います。物事を動かす発言権を持つには役職が必要です。

 今や男女ともに子育てが当たり前になってきたにも関わらず、「女性」「子育て」が働き方の制約を生んで評価を落とす面がまだ残っています。早く脱却できるように自分たちの世代からは変えていきたいと思っています。

下に続く(2021年3月13日に取材しました)



<略歴>
 河田実央(かわだ・みお)さん 1981年生まれ。岡山県出身。2004年、テレビ朝日入社。スーパーJチャンネル、政治部、報道ステーションを経て、2020年10月から政治部平河キャップ。1児の母。

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