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中村美奈子

ひとり親の経験 報じる力に〈下〉

河田実央さん(テレビ朝日)

 

 テレビ朝日政治部記者とシングルマザーの二つの顔を持つ、河田実央さん(40)。母親としてどんな社会を残すのか、仕事を通じて自問しているという。日々動く政局を相手に取材現場を取りしきり、時には国会前で中継に立ち、動画配信サイトの解説コーナーにも出演する。番組の作り手としての成長、変化する政治取材についても語ってもらった。(聞き手・中村美奈子=元毎日新聞記者)


 ――東日本大震災の発生時はどこにいたのですか。

 河田さん 岡山県の実家です。里帰り出産したばかりでした。福島第一原子力発電所の爆発事故が起きて、放射能に対する不安が広がり、東京に帰るのが怖かったです。5月になってようやく夫と長女と3人で東京で暮らし始めました。

 原発事故の発生当時、テレビをずっと見ていると、「ただちに避難する必要はありません」と信じられないことばしか流れてきませんでした。子どもが生まれて初めて命を守る立場になって、テレビは必要な情報を届けているのかと真剣に自問自答するようになりました。子育てを優先して仕事を辞めることも考えていた時期がありましたが、伝え続けたいという意志が強くなりました。

 ――マスメディアとして、世の中の声を拾わないとだめだと。

 河田さん はい。「保育園落ちた日本死ね!!!」(2016年2月に匿名でブログに書き込まれ、賛同者によるデモやネット署名活動のきっかけになった)の時、山尾志桜里衆議院議員が衆院予算委員会でこの書き込みを取り上げて質問しました。それから待機児童問題を抱える人たちと、国会論戦とを伝えたのですが、報道することで政治が動くということを実感しました。

 報道の根本は人権。自分たちの権利、自由を守ることだと思います。その土台が守られているか。こういう政策で守れますか、ということを伝えていくべきだと思っています。


労使交渉で補助獲得


 ――お子さんがまだ幼い時、組合の役員もしていましたね。

 河田さん はい。2016年からテレビ朝日労働組合で非専従の副執行委員長を1年、2017年から同じく非専従の執行委員を1年やっていました。国政選挙の投開票日に放送する全社挙げての特別番組「選挙ステーション」当日、子育て中の女性が働けるように、13年の参院選で1日限りの社内託児所が設置されました。保育園が休みの日曜日、会社で子どもを預かる特別態勢ができたのです。会社の負担は場所の提供だけでしたが、16年の参院選では利用料の半額補助にこぎつけ、7家族、計10人の子どもが利用し、約17万円の費用の半分が番組制作費から捻出されました。

 組合役員として労使交渉した17年の衆院選では、社内託児の利用は「全額会社負担にすべき」と要求し、実現しました。子育て中の報道局の女性幹部が会社の上層部とつないでくれました。男性の報道局幹部や番組幹部にも理解があったのと、他にも声をあげていた人がいたおかげで、難航せず実現しました。

 19年の参院選では、社内託児の利用を社員以外のスタッフにも広げたかったのですが、実現しませんでした。

 ――「報道ステーション」で印象に残っている報道は何でしたか。

 河田さん 戦争中に空襲で重度の障害を負った民間人の救済を問う「忘れられた空襲被災者」という特集です。番組に届いた一通の手紙から取材を始めました。17歳の時に空襲で大やけどを負って両足を切断し、結婚も出産もできなかった女性の妹さんからでした。ちょうど自分が身重になり、命について考え始めた頃でした。

 戦時中は民間の戦災者に対して国の補償がありましたが、終戦とともに廃止され、復活しませんでした。しかし、軍人・軍属には復活しました。「国との雇用関係」がなかったことを理由に、民間人には受忍が強いられたのです。

 全国に散らばる当事者の方々に取材して、約12分の特集になりましたが、一言しか放送できなかった人には相当なおしかりを受けました。空襲で左目を失い、当事者と救済を訴えてきた杉山千佐子さん(全国戦災傷害者連絡会会長)とはつきあいを続け、亡くなった時にはその半生を放送しました。永田町を出て初めて市井の人を取材し、取材は一過性ではないと痛感した、とても重い企画でした。

 母親になって思うのは、「自分がどう生きたか」は「どんな社会を残したか」でもある、ということです。次世代の子に自分は何を残せるのか。空襲被災者に強いられた不条理を知り、とにかく残したい、伝えたい、と思いました。二度と繰り返されないように。

 「次世代のために歴史を語り継ぐ」「生き様を伝える」「検証する」という今の私自身の報道への思いを確かなものにする、最初の特集だったと思います。


職場の半数が子育て中


 ――現在の与党取材の体制を教えてください。

 河田さん キャップが私、サブキャップが以前与党キャップをしていた頼れる女性の先輩、他に女性2人、男性2人。計6人で、20代から40代前半の人たちが集まっています。子育て中の人が半数なのでやりやすいです。

 現在、与野党キャップは2人とも女性です。

 ――政治部は何人いるのですか。

 河田さん 政治部長が1人、デスクが3人、与党取材が6人、野党取材が2人、官邸取材が6人、防衛・外務などで、全部で21人です。うち半数以上(12人)が女性です。

中継のテストをする河田さん

 ――テレビ朝日などが出資する動画配信サービス、AbemaTVにも出演していますね。

 河田さん はい。AbemaTVは会社のネット戦略として運営され、毎日午後7時すぎから記者の解説中継が行われています。政治部は週1~2回、1回15分話します。20~30代の若手記者に任せることも多く、中継の訓練の場にもなっています。

 最近AbemaTVで配信されてネット上で反響が大きかったのが、フェムテックの話です。フェムテックとは、女性(female)と技術(technology)を掛け合わせたことばで、生理や妊娠、更年期など女性の体の悩みを最新の技術で解決しようという分野です。経血を吸収する生理用ショーツなどが販売されています。

 ところがフェムテックの商品は、その機能を説明書きをつけて薬局で売ることができません。商品の効能をうたう表示を一定水準に保つ薬機法(旧薬事法)には想定外の分野のため、販売規制の対象として扱われ、普及のネックになっているのです。

 20代の女性記者が興味があると言い出し、年末企画で準備しましたが、放送できませんでした。テレビは放送枠が取れるかどうかの意思決定に時間がかかります。Abemaは自由度が高く、若い人たちで臨機応変に配信しています。こうした特性も生かして生活に密着したテーマを取材していくことで、改革を促していきたいです。


 ――放送枠を取るのは時間がかかるのですね。新聞紙面と同じです。夜回りはどうしているのですか。

 河田さん ほとんどしていません。コロナの影響で夜回りを断る議員もいました。今は裏取りもLINEやメールです。絵文字スタンプで裏取りできることもあります。政治家同士も、かつて電話にほとんど出なかった小泉純一郎首相の時代とは違い、LINEを使っている人が多いです。政治の取材スタイルも夜討ち朝駆け頼み、というわけではなくなりました。


 ――驚きました。送ったものが記録に残っても、取材に使われるとは。変われば変わるものですね。貴重なお話、ありがとうございました。

(2021年3月13日に取材しました)



<略歴>
 河田実央(かわだ・みお)さん 1981年生まれ。岡山県出身。2004年、テレビ朝日入社。スーパーJチャンネル、政治部、報道ステーションを経て、2020年10月から政治部平河キャップ。1児の母。

◎インタビューを終えて

 河田さんはまさにスーパーウーマンそのものです。マスメディアの世界で河田さんと同じ境遇で仕事をしている方はほとんどいないと思います。仕事の能力もさることながら、とてつもない体力と気力、情熱の持ち主です。小柄な体のどこにそんな強さが潜んでいるのか謎ですが、真に強い人は見かけを裏切るものなのでしょう。そういえば、反戦を訴え続けた随筆家の故岡部伊都子さんもたおやかでした。

 新しいことを取り入れて、子育てに生かしている姿は参考になります。画面越しに子どもと大人が夕食を取るZoom夕食会は、すぐにでもできそうです。親がひとりだから、時間がないからという制約を設けずに、とにかくやってみる。意志あるところに道あり。報道の第一線で働くシングルマザーだという覚悟を感じました。

 そして企業にも、出産、子育てをする女性を育てようという意識がうかがえました。ただし、道のりは遠いです。役員の半数を女性が占めるようになった日が新たな出発点だと思います。


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