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海外帯同編②「駐夫」として暮らしてどうだった編

  • 川口敦子
  • 23 時間前
  • 読了時間: 12分


報道現場で、子育てと仕事の両立を目指して日々奮闘する皆さんに、「そこんとこどう?」を聞く企画「ウチらの子育て」です!この回では、報道実務者『あるある』の人事異動のなかでも、特に海外赴任を取り上げます。記事は2回続きで、その②では、夫が妻の海外赴任に帯同し、「駐夫」として暮らしてみたら「実際どうだった?」と聞きました。それぞれの経験と知恵が、読んでくださったあなたの参考になれば幸いです。(聞き手・川口敦子=フリーランス)

【この回では、次の皆さんの記事を読むことができます】 (記事はこちら)をクリックすると、それぞれの記者の記事に飛びます。スクロールしていって、全員の記事を通して読むことも可能です。

細谷啓史さん(共同通信社)
細谷啓史さん(共同通信社)

渡米はよくよく考えたうえでの決断でしたが、それでも「養われている感」には、想像していた以上にストレスを感じました。 (細谷さんの記事はこちら。妻の比嘉杏里さんのコメントはこちら (プロフィール)

1965年生まれ。1990年、共同通信社に入社。釧路支局、福島支局などを経て1997年から社会部。警視庁などを担当し、愛知、大阪でも警察キャップを務める。東京支社編集部デスク、同部長などを経て2023年6月に退職し、同年8月から妻の比嘉杏里さんの米国ワシントン赴任に帯同。2025年8月帰国後に復職し、人材育成室長。

小西一禎さん(大学教授、ジャーナリスト)
小西一禎さん(大学教授、ジャーナリスト)

渡米当初は「記者としてのアイデンティティの喪失」に苦しみましたが、自分自身がそのときに抱えていた葛藤を素直に書くことで、葛藤を感じたのはなぜなのかが整理されていき、徐々に本来の自分を取り戻していくことができたように思えます。 (小西さんの記事はこちら (プロフィール)1972年生まれ。1996年、共同通信社に入社し、政治部で首相官邸や外務省などを担当。2017年に妻の米国赴任に伴い会社の休職制度を男性として初めて取得、妻・二児と渡米した。在米中に退社し2025年から千葉科学大学危機管理学部教授。著書に『妻に稼がれる夫のジレンマ-共働き夫婦の性別役割意識をめぐって』(ちくま新書)など。


細谷啓史さん (共同通信社) 渡米はよくよく考えたうえでの決断でしたが、それでも「養われている感」には、想像していた以上にストレスを感じました。

細谷啓史さん(左)と比嘉杏里さん(2026年5月10日、東京都内で川口敦子撮影)
細谷啓史さん(左)と比嘉杏里さん(2026年5月10日、東京都内で川口敦子撮影)

米国でジャーナリストや新聞、ラジオ、テレビ等の派遣記者やメディア関係者らに発行されるビザは「報道関係者ビザ(Iビザ)」といい、配偶者と21歳未満の未婚の子どもは「家族ビザ」を申請します。ただし、家族ビザでは米国内で就労できません。また銀行口座を開くのに必要な社会保証番号も、家族ビザでは取得できません。


そんなわけで、米国にいる間は比嘉から渡されたクレジットカードで日々の買い物をしていましたが、いくら「必要なものは、これでなんでも買って」と言われても、「俺の気分で買ってええんか」という気持ちになってしまう。 日本にいたときには、当然のように自分が稼いだ分を自由に使っていたのに、米国で自分は働くことができない「無職」の身分。渡米はよくよく考えたうえでの決断でしたが、それでもこの「養われている感」には、想像していた以上にストレスを感じました。 高校時代の同窓会では、友だちから冗談めかして「お前は『ひも』やからな-」と言われたりもして、そのときには空気を読んで笑ったものの、正直それもしんどいわけですよ。この段階になって、夫の転勤に伴って仕事を辞めた女性がどんなモヤモヤとした気持ちを抱くのか、初めて腑に落ちた感覚がありました。


細谷啓史さん(2026年5月10日、東京都内で川口敦子撮影)
細谷啓史さん(2026年5月10日、東京都内で川口敦子撮影)

当時のワシントン支局には、比嘉以外にも、自分がデスクとして働いていたときの後輩や知り合いの記者たちがたくさんいました。かつて一緒に働いてきた後輩記者たちが仕事にまい進している一方で、私のワシントンでの主な仕事は、子どもたちの学校の送り迎えや家事。考えることといえば、「きょうの晩飯、何を作ろう」「冷蔵庫の中に何があったっけ?」ということです。


ときには比嘉から原稿の相談を受けることもありましたが、それは会社の正式な業務として行ったものではないので、仕事としてコミットできているという感覚も薄くて。米国でこんな経験を重ねたことで、改めて「俺、まだまだ仕事をしたいんやな」と認識しました。

また自分の英語力の不足を実感することもしばしばありました。日常的に小学校への子どもの送り迎えはしていても、トラブルが生じて細かいやり取りが求められる場面になると結局、英語が堪能な比嘉に交代してもらうことになる。「もう少し英語をしゃべることができたら、家族を助けられたのにな」と何度も思いました。

ただそんな自分であっても、子どもたちにとってはかけがえのない父親なわけです。実は、子どもが現地の小学校に慣れることができずに苦労していた時期があったのですが、そんなときには「お父さんの通訳をしてくれ」と言って、スーパーなどでのやり取りは子どもに任せたりもして、少しでも自信をつけてもらおうとしました。


子どもたちは今ではすっかり英語に慣れ、きょうだいの間での会話も英語で話すようになり、何を話しているのか、家庭の中で私だけが理解できないほどに上達しました。想定を超える英語力を身に付け、子どもたちが恐ろしいほどの速さで成長していることを実感する日々を送っています。 細谷さんの記事は下記でも読むことができます。 海外帯同編①ある日、妻が海外赴任に!夫が帯同した理由編


比嘉杏里さん (共同通信社政治部) 夫が家庭でのあれこれを全て引き受けてくれたおかげで、私は仕事に没頭することができました。ただその一方で、これまで同じように働いてきた配偶者がビザの関係で就労できないことをどう受け止めるかなど、海外赴任ならではの難しさがあると感じています。

比嘉杏里さん(共同通信社)
比嘉杏里さん(共同通信社)

(プロフィール) 1980年生まれ、沖縄県出身。2005年、共同通信社に入社。社会部、名古屋編集部、奈良支局、政治部、千葉支局、政治部、那覇支局を経て2023年8月にワシントン支局赴任。2025年9月に帰国し、政治部外務省クラブ担当。子どもは2012年生まれの長男、2017年生まれの長女と次男の双子の3人。2020年にも、報道実務家フォーラムの記事にご協力いただいた。

男女問わず、配偶者や子どもがいる記者が特派員として海外赴任する際には、その家族は一緒に行くのか、行かないのか、という問題が生じます。うちの場合は、夫がワシントンに来てくれて、家庭でのあれこれを全て引き受けてくれたおかげで、私は仕事に没頭することができました。


ただその一方で、これまで同じように働いてきた配偶者が退職することをどう考えるか、せっかくこれまで積み重ねてきたキャリアがあってもビザの関係で就労できないことをどう受け止めるかなど、海外赴任ならではの難しさがあると感じています。


就労ビザの問題は一朝一夕に解決できませんが、海外赴任に帯同する配偶者が、この期間をキャリアアップの機会とすることはできるのではないかと思います。ただ、私の知っている範囲では、配偶者に対する語学学習の支援制度は十分に整っていません。海外同行の休職制度に加え、帯同する配偶者が自社の従業員でもあっても他社の従業員であってもオンラインで受けられる各種講座を充実させるなど、さまざまな方法を模索してもらいたいです。


比嘉杏里さん(2026年5月10日、東京都内で川口敦子撮影)
比嘉杏里さん(2026年5月10日、東京都内で川口敦子撮影)

2020年の報道実務家フォーラムの記事で、私は以下のように話しました。


会社とか仕事って、人生で大きなものを占めているのでとっても大切ですけど、私の人生に丸ごと責任を持ってくれるわけではない。こう生きたいとか、こうしたいっていうのは自分にしか分からないですよね。


この記事から6年が経過し、渡米を経て長男は13歳に、長女と次男の双子は9歳になり(2026年5月時点)、3人の子どもたちがそれぞれのペースで成長していることを実感します。そんな子どもたちの姿を見る中で、最近は子どもとの付き合い方や自分がどう生きたいのかを、改めて考えるようになりました。


私は3人の子どもを産んで仕事をしていますが、いつかは引退するし、最後は死んでいきます。「自分の人生を賭けてやらなければいけないことは何だろう」ということを突き詰めると、優先順位の高いところに「子どもの自立を見守ること」があるのではないか。 子どもたちがこれから先、どんな人生を歩むかは分かりませんが、それぞれの独立した人生のスタートラインに立つまでに子どもたちと話しあい、ときにはその背中を後押しする。そんな時間を取りながらも、どんな形で仕事をしていくか、そのバランスの取り方がこれからの私の課題になりそうです。

細谷さん、比嘉さんと、次男(左)、長女(左から3人目)              (2026年5月10日、東京都内で川口敦子撮影)
細谷さん、比嘉さんと、次男(左)、長女(左から3人目)              (2026年5月10日、東京都内で川口敦子撮影)

比嘉さんの記事は、下記の回でも読むことができます。 海外帯同編①ある日、妻が海外赴任に!夫が帯同した理由編 育児中の政治部記者を支えるもの(2020年5月)

小西一禎さん

(大学教授、ジャーナリスト)

渡米当初は「記者としてのアイデンティティの喪失」に苦しみましたが、自分自身がそのときに抱えていた葛藤を素直に書くことで、葛藤を感じたのはなぜなのかが整理されていき、徐々に本来の自分を取り戻していくことができたように思えます。

小西一禎さん(2025年7月9日、千葉県銚子市で川口敦子撮影)
小西一禎さん(2025年7月9日、千葉県銚子市で川口敦子撮影)

渡米前には政治部記者として仕事漬けだった私は、妻の海外赴任に帯同して2017年に渡米した当初、「記者としてのアイデンティティの喪失」に苦しみました。米国にいる間、私には「記者」としての名刺はなく、対外的には「○○ちゃんのパパ」でしかない。社会的な肩書きを失った状態で、これからの数年間を「子どもの付き添い」として生きるのかと思うと、正直に言って相当落ち込みました。 これまで保護者会なども妻に任せきりだったため、渡米当初は現地の幼稚園で「駐妻」の女性たちと何を話せば良いのか分からず、「ママ友のコミュニティーに入る自信がない」と感じました。

そんななかで私にとって救いになったのは、ある地方新聞で米国生活について一人称で書く20回続きの連載記事を担当させてもらえたことです。妻が仕事に、子どもたちが幼稚園に行った後に、自宅でパソコンを開くルーティーンができたこと、そして「少なくとも自分の業である『書くこと』ができるようになった」と思えたことで、少しずつ気持ちは落ち着いていきました。


クリスマスツリー用に天然モミの木を伐採する小西さん(奥)と子どもたち、2018年11月、ニュージャージー州郊外(小西さん提供)
クリスマスツリー用に天然モミの木を伐採する小西さん(奥)と子どもたち、2018年11月、ニュージャージー州郊外(小西さん提供)

また、このタイミングで会社組織の外側に身を置いたことは、私にとって結果的にキャリアの「棚卸し」になりました。ひとつの会社に長く所属すると、良くも悪くも自社の記事の書き方に慣れてしまうものですが、一度外の世界に出て、「分かりやすく整理して書くこと」にはそれなりのニーズがあると知ることができたのは大きかったです。

連載を持たせてくれた地方新聞担当者には感謝の思いしかないのですが、連載2回目の原稿を送ったところで「つまらない」と指摘されたのにはショックを受けました。担当者の真意は「格好付けずに、小西さんの『格好悪い』日々の生活をそのまま書いてほしい」とのことでした。なにせ、それまでは「政府」や「首相」が主語の記事しか書いたことがなかったので最初は慣れませんでしたが、自分自身がそのときに抱えていた葛藤を素直に書くことで、葛藤を感じたのはなぜなのかが整理されていき、徐々に本来の自分を取り戻していくことができたように思えます。


米国滞在中に料理はだいぶ上達しました。渡米前は調理に時間がかかりすぎ、カットした肉や野菜のひとつひとつが大きすぎ、火の加減も適当だったため、見栄えは最悪。たまにご飯を作ったのが、かえって有難迷惑だったのでは、と振り返ると思います(笑) かつては「野菜のみじん切り」もできなかった私ですが、よちよち歩きからだんだん歩けるようになるのと同じで、料理もやればやるほど上達する。向上心や意欲が出てきて「子どもに少しでもおいしいものを食べさせたい」とさまざまなメニューを検索して作るようになりました。米国の住まいにオーブンが設置されていたことにも助けられ、メインとサブの料理をオーブンに入れて同時並行で仕上げるなど、うまく手を抜いて効率的に夕食をつくる技も身に着けました。


子どもが遊ぶそばで、バーベキュー用の肉を焼く小西さん、2018年6月、自宅庭 (小西さん提供)
子どもが遊ぶそばで、バーベキュー用の肉を焼く小西さん、2018年6月、自宅庭 (小西さん提供)

われながら、子どもに対する姿勢も変わったと思います。渡米前には仕事ばかりで子どもたちとじっくり向き合って話をした記憶はほとんどなく、長女には「(渡米前に)パパと遊んだ記憶がなかった」と言われました。ですが、「駐夫」時代には、午後2時に幼稚園から帰ってきた長女と長男を独り占めすることができた。3人で一緒に遊んだ時間はとても豊かで、「子どもとの時間を取り戻せてよかった」と心から感じました。


こうした生活を送るうちに「日本の男性の生き方は今のままでいいのかということを、自分なりの視点で書いてみたい」という思いが強くなっていきました。日本では、いまだに多くの男性が「男は仕事。自分が稼いでなんぼだ」と考えて長時間労働を受け入れ、妻が多くの家事や育児を負担している。でもこうした生活を続けることは本当に幸せなことなのか。家事や育児に多くの時間を割く女性はもちろん、男性自身も「男らしさ」のイメージに縛られ続けることは、実は不自由なのではないか。こんなことを考えるようになったのです。

巨大クリスマスツリーを見物する小西さんと、2人の子ども、2018年12月、ニューヨークマンハッタンのロックフェラーセンター、   小西さん提供(画像の一部を処理しています)
巨大クリスマスツリーを見物する小西さんと、2人の子ども、2018年12月、ニューヨークマンハッタンのロックフェラーセンター、   小西さん提供(画像の一部を処理しています)

現在、私は千葉科学大学の教授として教鞭を取るとともに、ジャーナリストとして男性目線からとらえたジェンダー関連の執筆や講演などの活動をしています(2026年4月段階)。 こうして振り返ってみると、自分にとって渡米はこれまでのキャリアを徹底的にリセットさせるきっかけになりました。実は妻は、私が最後には「帯同を辞める」と言い出すのではないかと思っていたそうです。渡米後しばらくしてから、「あなたは最後には日和るんじゃないかと思っていた」と言われ、このひと言には「痛いところを突かれた」と感じました。


かつての私もそうでしたが、日本の多くの男性にとって、ジェンダー平等は「女性のことだ」「他人事だ」と捉えられがちです。だからこそ、男性でかつ仕事漬けだった自分がジェンダーについて語りかけることで、男性が耳を傾けてくれる可能性が少しでも高くなればいいな、と考えているところです。

小西一禎さん(2025年7月9日、千葉県銚子市で川口敦子撮影)
小西一禎さん(2025年7月9日、千葉県銚子市で川口敦子撮影)

小西さんの記事は、下記の回でも読むことができます。 海外帯同編①ある日、妻が海外赴任に!夫が帯同した理由編

 
 
 

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