【6/10更新】「正直しんどい…」 そんなとき、助けてくれた人とは。
- 川口敦子
- 5月27日
- 読了時間: 12分
更新日:6月10日

報道現場で、子育てと仕事の両立を目指して日々奮闘する皆さんに、「そこんとこどう?」を聞く企画「ウチらの子育て」です!この回では、「正直しんどい…」と感じたとき、助けてくれた人は誰だったのかを聞きました。それぞれの経験と知恵が、読んでくださったあなたの参考になれば幸いです。(聞き手・川口敦子=フリーランス)
追記:2025年6月10日、記事を追記しました。
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![]() | ひとり親になってからの6年間、数え切れないほどいろんな人に助けられました。特に、妻が亡くなった直後の1、2年は「ママ友」の支えがとても大きかったです。 (尾崎さんの記事はこちら) (プロフィール) 1988年生まれ、千葉県出身。2013年毎日新聞社に入社。前橋支局、福島支局、東京本社地方部を経て2021年4月から福島・南相馬通信部。シングルファーザーとして育児家事に追われながら、原発事故の影響で今も居住できない帰還困難区域など福島の被災地の取材を主にしている。 |
![]() | 地元の助産師さんは「人生の師」。分からないことがあるたび、さまざまなことを教えてもらいました。
(作山さんの記事はこちら)
(プロフィール) 1988年生まれ。2014年、中日新聞社に入社し、愛知、三重、滋賀各県の支局で警察や市政を担当。長男の誕生に伴って2021年2月から1年間、次男の誕生に伴って2023年8月から約半年間の育休を取得。2024年、京都新聞社に入社。 |
![]() | この業界、メンタル面でつまずく人も珍しくはない。私は、上司をはじめ、職場の温かさがなかったら戻ってこられなかったかもしれず、とてもラッキーでした。 (外山さんの記事はこちら) (プロフィール) 1980年生まれ。2003年テレビ朝日入社、夕方ニュース番組ディレクターを経て、経済部記者に。財務省、日銀、流通などを担当。2011年~2013年、ニューヨーク支局特派員。帰国後、2015年に長男を、2017年に長女を出産。2017年にABEMAニュースに異動。 |
尾崎修二さん
毎日新聞社
ひとり親になってからの6年間、数え切れないほどいろんな人に助けられました。特に、妻が亡くなった直後の1、2年は「ママ友」の支えがとても大きかったです。

2019年2月、長男が2歳8カ月だったとき、妻は42歳で亡くなりました。死因は胆管がんでした。胆管がんは、進行が早い割に気がつきにくい病気と言われており、妻の場合は、亡くなる10カ月ほど前に判明した時点で、「ステージ4、切除不可」との診断でした。医師からは「余命は半年ぐらいかもしれない」と言われていました。
妻にがんが見つかったとき、僕は毎日新聞社前橋支局から福島支局に異動して1年目が終わる頃でした。もともと入社前から「東日本大震災の取材をしたい」と希望しており、第1希望の赴任先を「福島」と言い続けてきて、その念願が叶って福島に異動してようやく仕事に慣れてきた時期のことでした。

病気の判明後、会社と相談して僕たち家族は実家近くの千葉県流山市に引っ越しました。妻はがんの治療のために東京都内の病院に通い、僕は泊まり勤務や休日勤務がない東京本社の職場に異動。妻に家事や育児を委ね、仕事だけをしていればよかった生活から、環境は一変しました。 最期は1ヶ月間の在宅介護を経て妻が亡くなり、ひとり親になってからの6年間は、数え切れないほどいろんな人に助けられました。特に、妻が亡くなった直後の1、2年は「ママ友」の支えがとても大きかったです。
妻は元来、社交的なタイプで、赴任地の前橋や福島ではいろんな場所に行っては、友だちをたくさん作っていました。ところが、がんが見つかって千葉に移り住んでからは出歩くことも減り、妻がそのころに知り合っていたママ友は一人だけしかいませんでした。 妻の告別式の数日後、僕はそのママ友に、妻が亡くなったことを伝えに行きました。「今この人とつながっておかないとダメだ」という直感があったのです。すると彼女は、僕の知らないところで他の人と相談してくれて、僕の住んでいる地区の子ども食堂の代表を紹介してくれました。僕はその後、子ども関係のいろんな地元イベントに顔を出し、最初からひとり親であることを打ち明けるようになりました。そんななかで気が合うお母さんや地域で子ども関係の活動をしているお母さんと知り合い、たくさんの友だちができました。

ひとり親になってから、ママ友たちに助けてもらったエピソードはたくさんあります。親子で風邪をひいて寝込んでいたとき、子ども食堂のグループLINEに「SOS」を送ったら、食材や飲料を買ってきてくれた人がいました。家に来て風呂を掃除したり、長男の世話をしてくれたりした人もいました。精神的にすごく辛い時期に話を聞いてくれて一緒に泣いてくれたり、保育園のお迎えの帰りに「今日はどうしても息子と2人だけで夕飯を食べたくない」という気持ちになったとき、ママ友の家で急きょ夕飯を食べさせてもらったりしたこともありました。そういう地域のつながりに本当に助けられていました。
2021年に福島・南相馬通信部に異動してから、千葉在住のママ友たちとリアルに会うことは少なくなりましたが、今でもオンラインでつながっている人は多くいます。初めてママ友になってくれた女性は、ずっと僕ら親子のことを気にしてくれて、最近3年ぶりにリアルで会いました。女性がうちの息子と楽しそうにツーショット写真を撮っている光景を見ると感慨深くて、心底から「有り難いなあ」と思いました。
尾崎さんの記事は、下記の回でも読むことができます。
育休取りたい!いつ、誰にどういう風に相談した?実際、取ってみたらどうだった?
もうちょっと遅くまで残れるかな…。出張どうしよう…。仕事の進め方ってどうしてる?
作山哲平さん
京都新聞社
地元の助産師さんは「人生の師」。分からないことがあるたび、さまざまなことを教えてもらいました。

夫婦ともに「お互いフェアに育児に取り組みたい」と考え、長期間の育休を取得した私が「人生の師」と仰ぐのは、地元の助産師さんです。
長男が生後2~3カ月のとき、おっぱいを飲まないことが心配になり、地元の助産院に駆け込みました。そこで母乳を出しやすくするためのマッサージを受けたのですが、長男が初対面の助産師さんにすぐに慣れ、キャハキャハ笑っているのを見て「プロってすごい」と感動しました。その後も、抱っこの仕方や離乳食の与え方など、分からないことがあるたびにさまざまなことを教えてもらい、本当にお世話になりました。
私たちは、長男の夜泣きにも苦戦しました。長男が夜泣きをしたら、よかれと思って、まるで会社の電話を取るかのような勢いで(苦笑)ミルクをあげていたのですが、この行為が夜泣きを助長させていたようなのです。このときにも、夜泣き専門の看護師さんに支えられ、ミルクをあげる時間を決めて、そのスケジュール通りに進めていったところ、長男が1歳3カ月になったころに、夜泣きから解放されることができました。
私の経験としては、ただでさえ一日中、赤ちゃんの世話をする毎日を送っていると、頭がぼーっとしてくるものです。これまでしばしば選挙の取材で、子育て中の女性などに「今の政権に求めることは何ですか」という質問をすることもありましたが、自分が一日中、赤ちゃんと過ごしていると、そんなことを考えられるような精神状態ではなくなってくる。世の中から切り離されたような気分になって落ち込んだり、妻とのケンカが多くなったり、一度は布団から起き上がれなくなったりしたときもありました。
そんな生活は、育休を取ったことがない方には想像がつきづらいようで、これまでに「育休を取って、何をしていたの?」という質問を何回か受けました。私自身も実際に育児を経験するまでは分からないことだらけでしたので、子どもがいなかったり、パートナーが主に子育てを担ってきたりした方々が「育児中の時間の流れ方をイメージできない」というのは、ある意味では当然のことかと思います。
ただ一方で、「イメージできないこと」は、知る機会があれば、ある程度は想像できるようになるのではないかという希望もあります。具体的には、生後1~3カ月、3~6カ月、6カ月~1歳など、子どもの成長時期によってこんなことが起こりがちという「赤ちゃんあるある一覧表」のようなものを作成し、育児と関わりのなかった方(特に、子育て記者の上司)がそれを見る機会があったら、イメージをふくらませてもらうための助けになるのではないでしょうか。
実践している企業も既にあるかもしれませんが、人事担当や両立支援担当がこうした一覧表を作成し、上司が目を通した上で、子育て記者と定期的に面談する仕組みがあったら、上司の皆さんが部下の状況を把握しやすくなり、コミュニケーション上の齟齬が生じにくくなるのではないかと考えているところです。
厚生労働省によると、「男性雇用者と無業の妻からなる世帯」の数は、1980年代には「雇用者の共働き世帯」の2倍弱でしたが、その数は1990年代に逆転し、2010年時点で、共働き世帯の方が2倍以上、多くなっています。
ただし、こうしたデータがある一方で、多くの新聞社では、ほとんどの時間を仕事に割いて成果を出してきた人が支配的な地位に就き、家庭や子どものケアは女性が担うという「男は外、女は中」という昭和のシステムが構造化されているように感じます。その壁はなかなか厚いと感じることもありますが、共働き世帯が多くなるなか、子育てに関わるのは女性だけではなくなっています。子育て中の女性と男性に対する、上司や会社側の理解と尊重が進んでいくことを願っています。
作山さんの記事は、下記の回でも読むことができます。
育休取りたい!いつ、誰にどういう風に相談した?実際、取ってみたらどうだった?
もうちょっと遅くまで残れるかな…。出張どうしよう…。仕事の進め方ってどうしてる?
外山薫さん
テレビ朝日
この業界、メンタル面でつまずく人も珍しくはない。私は、上司をはじめ、職場の温かさがなかったら戻ってこられなかったかもしれず、とてもラッキーでした。

ワンオペ育児を「怖い」と感じ、うつ病になるなど紆余曲折があった私は、テレビ朝日の人たちにとても助けられてきました。特に「助けられた」と感じたのは、2017年にABEMAニュースに異動したとき、そして2020年に復職したときのことです。
ABEMAニュースへの異動の話が持ち上がったのは、私が保育園の送り迎えと、子どもの急病時の呼び出しでいっぱいいっぱいになり、「これ以上、タスクを増やせない」という状況に陥ったときでした。当時の報道局長から呼ばれて「とにかく人が足りないから、○○さんの補佐をしてほしい。時短でもいいから」と言われたのです。
そのとき、私は夕方のニュース番組「スーパーJチャンネル」で、昼間にできるインタビューや素材起こしをしていました。そこは、入社間もない時期にディレクターを務めたこともあり、育児経験のある女性の先輩が何人もいる、勝手知ったる場所。「この『安住の地』を離れて、よく分からないところでやっていけるのか」と不安になりました。
ところが、実際に異動してみたら、立ち上げ期で人が足りず、私のような時短勤務の半人前でも歓迎されたことに、とても救われました。当時の上司は夕方のニュース番組でも一緒だった先輩で、「お迎えがあって、できません」と業務を受けられないときでも、「子どもの親の代わりにはなれないけど、外山の代わりはできるから、外山はできることをやってくれるだけで有難い」と言ってくれて。もう「神上司」ですよね(笑)
2020年5月に復職するときにも、さまざまな方々に助けられました。復職までの間、病気は再発を繰り返していましたので、時短でも週5勤務の復帰は難しいと見込まれました。当時テレワークも普及していませんでした。ですので、これまでたまりにたまった有休と泊り明けの代休を使って、週何日かの勤務にしたいと厚生労務担当に相談したところ、子育て中のママでもある担当者から「今までずっと働いてきたから、それは使っていいんだよ。まずは週3日勤務で始めてみよう」と提案してもらい、しばらく「慣らし勤務」をしました。
第2子出産後に上司が替わったのですが、この上司も素晴らしい方で、私の適性を見ながら「この仕事をプラスしてできる?」「この案件の会議にちょっと出てもらえる?」と、少しずつ私にできそうなことを増やしてくれました。この上司に「退職するまでの間に、いつか『プロデューサー』と名乗ってみたいです」とぽろっと話したのを覚えてくれて、「在宅でできる業務だからやらない?」とプロデューサーの仕事を振ってくれたこともありました。何気ない話の内容を覚えていて、私の体調を尊重しながら提案してくれたのがとても嬉しかったです。
この業界、メンタル面でつまずく人も珍しくはありませんよね。私は、上司をはじめ、職場の温かさがなかったら戻ってこられなかったかもしれず、とてもラッキーでした。上司には「部長、人を再生させたのはマジですごいことですから」と伝えていました(笑)
私は病気を経て、今は「24時間365日、報道のど真ん中で働き続ける」という働き方はできないし、家族との関係を考え、しばらくはそういう働き方をしないことにしました。ただ、ニュースの仕事が好きなのは変わりませんから、今後は社内外の人脈を広げて独自のキャリアを作りつつ、組織に貢献したいと考えています。今は、社内業務としては、ABEMAニュースの編成管理、週刊「BUZZ動画」プロデューサー、企画取材などを担当(2025年2月時点)。社外の活動では、報道実務家フォーラムの企画運営にも携わっています。
2024年9月からは、聴くテレ朝「ホンマのホンネ~わたしたちのモヤモヤニュース会議〜」の制作を始めました。日々のニュースを起点にしつつ、地上波ではこぼれ落ちていってしまうことが多い、選択的夫婦別姓や男女賃金格差、第3号被保険者制度などの「もやもやしていること」を、テレビ朝日の本間智恵アナウンサーをMCに、報道局の溝上由夏、私の3人が、時にゲストも交えつつ本音でトークするポッドキャストです。
映像もテロップもなく、音のみで配信するのはテレビ局としては新たな挑戦ですが、音声コンテンツは子育て中の方々とも親和性が高いと考えています。子どもの前でスマートフォンやテレビばかり見ていると、子どもは不満に感じて「お母さん、こっち見て!」と言われがちですが、音だけであれば、子どもと遊んだり、料理をしたりしながら、ニュースを仕入れることができます。
「ホンマのホンネ」は、テレビ朝日の新規事業募集の際に営業局の女性社員が出した案が元になって、部署横断的に進めている取り組みで、ニュースの新しい展開方法として手ごたえも感じています。みんなで大事に育てていきたいです。

外山さんの記事は、下記の回でも読むことができます。 「女性初の○○」を超えて、組織の「ど真ん中」で働き続けるためには? あなたの「保活」はどうだった?通ってみて、お子さんの様子は? 子どもの急病のとき、自分が病気になったとき、あなたはどうやって乗り越えた?
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