もうちょっと遅くまで残れるかな…出張どうしよう…仕事の進め方ってどうしてる?
- 川口敦子
- 4月25日
- 読了時間: 15分
更新日:4月27日

報道現場で、子育てと仕事の両立を目指して日々奮闘する皆さんに、「そこんとこどう?」を聞く企画「ウチらの子育て」です!この回では、「もうちょっと遅くまで残れるかな…」「こうやって出張に行った…!」という4人の話を聞きました。それぞれの経験と知恵が、読んでくださったあなたの参考になれば幸いです。(聞き手・川口敦子=フリーランス)
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![]() | 地元女性の「ファミサポさん」に支えられて出張を実現。「ひとり親なのに、県外へ取材に行くことができた。幸せだな」と感じました。 (尾崎さんの記事はこちら) (プロフィール) 1988年生まれ、千葉県出身。2013年毎日新聞社に入社。前橋支局、福島支局、東京本社地方部を経て2021年4月から福島・南相馬通信部。シングルファーザーとして育児家事に追われながら、原発事故の影響で今も居住できない帰還困難区域など福島の被災地の取材を主にしている。 |
![]() | 子どもがいても海外でも取材する姿が、後輩たちにどう映るかはわかりませんが、新手の策で挑戦してみます。 (加藤さんの記事はこちら) (プロフィール) 1983年生まれ。2006年関西テレビ入社。大阪府警・府政担当などを経て、2013年から3年間FNNベルリン支局で特派員。帰国後は神戸支局長に。2019年に長女、2020年に次女を出産。2022年から報道解説デスクとして取材をしながら自社番組に出演。第1回日韓女性記者フォーラム日本側代表。 |
![]() | 夫が仕事を頑張る時期と、妻が仕事を頑張る時期がそれぞれにあるのは自然なこと。その都度話し合いながら、わが家なりのブレンド具合を決めていきたいです。 (プロフィール) 1988年生まれ。2014年、中日新聞社に入社し、愛知、三重、滋賀各県の支局で警察や市政を担当。長男の誕生に伴って2021年2月から1年間、次男の誕生に伴って2023年8月から約半年間の育休を取得。2024年、京都新聞社に入社 |
![]() | 「やっても、やっても仕事が終わらない…」と思った雑誌校了期間。時には敢えて途中で切り上げ、家族との時間を確保することもあります。 (印南さんの記事はこちら) (プロフィール) 1990年生まれ。2015年に東洋経済新報社に入社し、流通小売業界、電機業界などの担当記者などを経て、2019年から『週刊東洋経済』の編集チームで勤務。2022年1月に長男を出産し、同3月に職場復帰。2024年5月に巻頭特集「女性を伸ばす会社、潰す会社」を担当。 |
尾崎修二さん 毎日新聞社 地元女性の「ファミサポさん」に支えられて出張を実現。「ひとり親なのに、県外へ取材に行くことができた。幸せだな」と感じました。

妻が病気で亡くなってシングルファーザーになってから、たくさんの人に助けてもらってきました。仕事を続ける上で実家の母親のサポートは欠かせず、公的な支援では「ファミリー・サポート・センター事業」を頼りにしています。 ファミリー・サポート・センター事業は、子育て中の子どもを預けたい人と、子どもの預かりの援助をしたい人を、市町村などが実施主体となってマッチングをする仕組みで、2021年4月に異動した福島県南相馬市では、地元の女性たちに週2回のペースで息子のサポートを依頼していました。息子と遊んでくれている「ファミサポさん」の女性は計3人で、全員が60代です。2021年から4年も一緒なので息子も懐いており、今では親戚や家族のような大切な存在です。民間シッターのない地方では非常に有り難い仕組みでした。

多くのファミサポさんたちが、自分の子どもの子育てが一段落した世代です。東日本大震災で被災し、ご苦労があった方もいらっしゃいます。東京電力福島第一原発事故後、ずっと避難生活をしてきたけれど、最近になって故郷に戻ってきたという方もいます。
4年間もお願いしていると、息子も成長してくるので、依頼の内容も少しずつ変わってきました。南相馬通信部に異動した当初、息子は4歳。週に2回、2時間ずつ僕の家に来てもらって、息子と遊んでもらうことが主な依頼内容でした。その間、僕は家で仕事をしたり、買い物に行ったりしていましたが、すごく疲れてしまっているときには一人で風呂に入ったり、睡眠を取ったりすることで、リフレッシュをさせてもらうこともありました。
最近は息子が大きくなってきて、ファミサポさんに依頼する頻度や時間は減ってきていますが、それでもなんのかんのとお願いする場面があり、息子の習いごとの教室に送っていってもらったり、自分が土日に仕事に出るとき、3時間ぐらい来てもらったりすることがしばしばあります(2025年2月段階)。
2024年の夏には、ファミサポさんに支えられ、福島から往復4時間をかけて宮城まで出張に行き、東京電力福島第一原発事故に伴って発生する処理水についての記事を書くことができました。
その記事を書くためには、どうしても特定の日に宮城まで出張に行かないといけなかったのですが、その予定は直前になって決まり、実家の母親に千葉から来てもらう都合はつきませんでした。たらればを言い出したらきりがないのですが、もし妻が生きていれば「明日は出張があって夜遅くなるから、晩ご飯はいらない」と言うので済むかもしれないわけです。
ですが、シングルファーザーとなった今の自分が出張を実現させるためには、取材日程が判明したら、すぐにあちこちに連絡してファミサポさんなどと日程調整をして、不在時に息子に食べさせるご飯を準備して……と態勢を整えておかないといけない。出張を控えてご飯の準備をしながら、「ちょっと出張に行くために、自分だけなんでこんなに手間暇をかけなくちゃならないのか」と悲しい気持ちになるのは否めませんでした。
その次の日、出張先では「これなら記事になる」という収穫が得られました。夕方にはファミサポさんからは「○○ちゃん(息子の名前)、習いごとから帰ってきて晩ご飯も食べたから、(尾崎さんは)ゆっくりしてきてください」と連絡が来て、LINEで息子の元気そうな姿を送られてきました。帰りの三陸道路の高速では夕焼けがきれいで、「ひとり親なのに、県外へ取材に行くことができた。幸せだな」としみじみ感じ、「われながら感情の浮き沈みが激しいなあ」と笑ってしまいました。
今は息子の環境整備のために、自分の時間やリソースを割くことも多く、「自分は記者として今後もやっていけるのか」と不安になることもあります。一方で、「子どもにとって親は自分しかいないし、今は優先順位を付けて割り切るしかない」という思いもあります。5年後、10年後には状況が変わり、仕事に専念できるときが来るのかもしれません。日々迷いながらですが、自分と息子なりに暮らしていきたいです。

尾崎さんの記事は、下記の回でも読むことができます。
育休取りたい!いつ、誰にどういう風に相談した?実際、取ってみたらどうだった?
加藤さゆりさん 関西テレビ 子どもがいても海外でも取材する姿が、後輩たちにどう映るかはわかりませんが、新手の策で挑戦してみます。

私は関西テレビでの「女性初」の海外特派員として、2013年から3年間、ドイツ・ベルリン支局に赴任しました。当時、会社は設立55周年で女性の登用が叫ばれ出したタイミング。私は入社7年目で、結婚したばかりでした。こんなに早く海外赴任の話が来るとは想像していなかったものの、夫に「行ってきたらいいよ」と背中を押され、単身赴任の形でベルリンに向かいました。「いずれは子どもを」とも思っていましたが、一人で自由に動ける間は、仕事に邁進したいと思ったのです。 ベルリン赴任中には、ジャーナリストの後藤健二さんがシリアで命を落とす事態(2015年1月)やパリ同時多発テロ事件(2015年11月)など相次ぐテロ事件に遭遇し、とにかく無我夢中で仕事をしました。私にとって幸運だったのは、FNN系列局の一員として同じベルリン支局でフジテレビの渡邉奈都子さんの元で仕事ができたことです。 当時の私は30歳で、その先のキャリアがどうなるのか、出産はするのかどうか、漠然とした不安を感じていました。渡邉さんにキャリアを積むことと子どもを産むことを両立していけるかどうかを相談したところ、渡邉さんから、いまの時代は欲張って仕事をしていいこと、何も諦める必要はないのだということを教えてもらったことで、今後の展望が拓けた気がしました。渡邉さんからもらった「キャリアはいつだって取り戻せる」という言葉は、私の心の支えになっています。

3年間のベルリン生活を経て2016年に帰国した私は、すぐに神戸支局長になりました。神戸支局は事件や事故も多く、夜回りに朝駆けとハードワークな毎日を送っていたのですが、30代の自分は何を優先するべきなのかを考え、夫とも相談のうえ妊活を開始。幸いなことに2019年には長女を、2020年には次女を授かりました。私の場合は、結果としてある程度キャリアを積んでからの高齢出産となりましたが、ある程度の責任も任されるようになってから産みどきを考えるのは、なかなか悩ましいことだと感じます。
そして出産してから痛感したのは、自分が高齢出産だということは、当たり前ではありますが両親もそれなりに高齢になっているということです。私が出張に行きたくても、高齢で地方在住の両親に子どもを預けるというのは現実的ではありませんし、夫の両親に毎回頼るのも遠慮があります。2023年、出産後初めての海外出張として二泊三日で韓国に行ったときには、夫と義理の姉の世話になりました。義理の姉の子どもと、うちの子どもが普段からよく遊んでおり、まるできょうだいのように仲が良いので、遊びに行かせてもらったのです。

出産後に出張する機会は減りましたが、2024年末になって、海外で取材してほしいという話が、急きょ舞い込んできました。最初は、激務で疲労困憊の夫に子ども2人を預けて海外に行くなんて「無理無理ー!」と感じたのですが、ふと、一時転園できる保育園がカナダにあったことを思い出しまして、「子どもを連れていっても、保育園に預けながら仕事できる!」ということで、カナダで取材することを条件に、この話を引き受けました。
上司の反応はさまざまでしたが、「海外では、記者が子連れで取材するのは『あり』ですよ。私も記事化を目指して、子連れで取材しているところを自撮りしてきますよ」と話したら、「確かに…」ということで、OKをもらいました。もちろん子どもの費用は全て自腹で、清算はきれいに分けるつもりです(笑)
子どもがいても海外でも取材する姿が、後輩たちにどう映るかはわかりませんが、新手の策で挑戦してみます。
私自身は、これまで女性初の海外特派員や女性初の解説デスクと、会社組織内でキャリアを積ませてもらい、やりたい仕事をやれてきたという実感があります。有り難いことに、自分がこれまで残してきた結果のいくつかは評価され、自分の中の「仕事貯金」もいくらかはある。そんなこともあって、後輩の女性記者たちには「時間がある間に、責任のあるポジションで仕事を積み重ねておくと、あとになって良かったと思えるものだよ」と伝えています。 加藤さんの記事は、下記の回でも読むことができます。 「女性初の○○」を超えて、組織の「ど真ん中」で働き続けるためには?
作山哲平さん 京都新聞社 夫が仕事を頑張る時期と、妻が仕事を頑張る時期がそれぞれにあるのは自然なこと。その都度話し合いながら、わが家なりのブレンド具合を決めていきたいです。

私は2014年に中日新聞社に入社し、2021年3月の長男誕生に伴って1年間の育休を取得しました。2022年4月に職場に復帰した後には、名古屋生活部に異動。当時は月1、2回程度、名古屋から東京へ出張する機会がありましたが、宿泊はせずに日帰りの出張で対応させてもらっていました。
東京での取材が無事に終わり、夕方に名古屋に帰っても、それで一日が終わるわけではなく、むしろ育児や家事は「ここからが本番」という時間帯です。朝から長時間、スーツや革靴を身に着けたままでは、出張を終えて帰ってきたころには疲れがたまってしまいます。
「少しでも体力を残しておかないといけない」と考えた私は、自分なりに工夫しました。朝は私服で行きの新幹線に乗り込み、東京到着後にスーツに着替え、革靴に履き替えて準備し、取材を終えたらまた私服に着替えて帰途に就くことにしたのです。これなら、帰宅してすぐに家事や育児に取り掛かることができます。これは、もしかしたら演奏家が、本番のステージ直前に演奏会用の衣装に着替えてステージに立ち、演奏を終えたら着替えるというのと似ているのかもしれません。
2024年4月、私は京都新聞社に転職しました。しばらくは仕事に注力する必要があり、妻に子どもたちの夕食を任せていたのですが、年末になって仕事が落ち着いてきたころ、共働きの妻から「そろそろ私にも(仕事を)頑張らせてほしい」と切り出されました。
同い年の妻は、外資系コンサルティング企業のマネージャー職に就いており、長男、次男を出産した後にも、仕事の量や質に制約のある「わけあり社員」のように思われたくないという気持ちを強く持っています。私にも、妻のその気持ちは理解でき、夫が仕事を頑張る時期と、妻が仕事を頑張る時期がそれぞれにあるのは自然なことと捉えています。
そんな訳で2024年末からは私が夕食を担当し、その間に妻は1カ月間に3回、泊まりがけで東京に出張しました。私も選挙の投開票で泊まりになったり、土曜や日曜の勤務に入ったりすることもありますから、そんなときには、ベビーシッターに定期的に依頼したり、義父母に来てもらったりすることで、助けてもらっています。
妻と私は二人とも仕事への意欲があり、常に「わけあり」でいたいわけではありません。夫婦がそれぞれの職場で、定期的に成果を出すことが重要だと考えています。私も、たまには周囲に「こいつ、やるな」と思ってもらえるような記事を書いていける記者でありたいですから(笑)、ときには私が80、妻が20の割合で、仕事に注力したいときがあります。妻の立場からすれば、妻が80、夫は20の割合で、仕事に向き合いたいときもあるはずで、その都度話し合いながら、わが家なりのブレンド具合を決めていきたいです。
ただ、私たちがそう考えていても、子どもが急に熱を出したりすると、そんなこちらの思惑は一瞬で吹き飛びますし、今このような働き方ができているのは、大きな事件や事故が起きていないという環境によるところもあります(2025年2月段階)。どうすればお互いをカバーしあって仕事と育児を両立していけるかは、その都度相談して決めていくしかないかなと思っているところです。
作山さんの記事は、下記の回でも読むことができます。
育休取りたい!いつ、誰にどういう風に相談した?実際、取ってみたらどうだった?
印南志帆さん 東洋経済新報社 「やっても、やっても仕事が終わらない…」と思った雑誌校了期間。時には敢えて途中で切り上げ、家族との時間を確保することもあります。

私は『週刊東洋経済』の編集チームで働いています。普段、仕事が深夜までかかることはないものの、定期的に繁忙期がやってきます。それは担当した記事を完成させて印刷会社に送る「校了」の期間です。 まず校了の2週間ほど前から図表や写真のレイアウトの確認が始まり、繁忙期に差し掛かっていきます。そして担当する記事を校了する4日間は、朝からひたすらゲラに赤を入れて戻すというアナログな作業に追われます。こうした週刊誌特有の事情があり、なかなか「夕方にはさくっと退社します!」というのは難しいのが実情です。 「やっても、やっても仕事が終わらない…」と思ったのが、当社恒例の年末年始号の編集を担当したときです。例年、『週刊東洋経済』は新年の「大予測」特集を作るのですが、その校了のためには120ページほどのゲラを延々と読み、赤を入れていく日々に突入することになります。ただ一方で、来る日も来る日も帰宅が遅くなると夫の仕事に悪影響があるので、時には「今日は早く帰ります」と職場に宣言して敢えて途中で切り上げ、家族との時間を確保した上で、次の日の朝から作業を再開することもありました。その分、効率的に仕事を進めないと終わりませんので、今は一週間単位で緻密にスケジュールを立てるようにし、夫ともカレンダーを共有しています。 出産前の私はこうした切り替えができず、ひたすら真夜中まで会社に残るような非効率な時間の使い方をしていました。今は出産前に比べると、仕事に使える時間に制限があるからこそ、自分の今やるべきことや取り組むべきテーマが明確になってきたという実感があります。 ただ、今は定期的に特集を担当するサイクルが決まっているので、自分で計画を立てて「この時期は忙しくなる予定」と夫にも情報を共有することで「なんとかなっている」という感覚があります。一方で、不測の事態にも対応することが求められる記者の仕事を今私ができるかと想像すると、あまり自信がありません。 不祥事が発覚したときなど、企業は夜遅い時間帯でも急きょ記者会見を開くことがあります。こうした突発的な仕事が入ると、夫婦でのスケジュール調整など自分たちの工夫でなんとか育児と両立するという範疇を超えてしまいます。
企業側にはもしかしたら、「いつ、どこでも記者は駆けつけるものだ」という従来のメディア像があるのかもしれませんが、私の周囲には男性を含めて、家庭での役目を果たしながら記者をする人が増えています。企業にも従来のメディア像をアップデートし、よっぽどのことでない限りはオフィスアワー内に会見を設定するようにしていただきたいです。私たちメディア側も担当記者を複数にするといった工夫を積み重ね、誰かに何かがあっても全体として仕事が回っていくような組織を作っていくことが必要ではないでしょうか。

印南さんの記事は、下記の回でも読むことができます。 「女性初の○○」を超えて、組織の「ど真ん中」で働き続けるためには? あなたの「保活」はどうだった?通ってみて、お子さんの様子は? まだ原稿を書き終わっていないのに、子どもが急病に!こんなとき、あなたはどうした?
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