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育休取りたい!いつ、誰にどういう風に相談した? 実際、取ってみたらどうだった?

  • 川口敦子
  • 4月25日
  • 読了時間: 13分

更新日:4月27日


報道現場で、子育てと仕事の両立を目指して日々奮闘する皆さんに、「そこんとこどう?」を聞く企画「ウチらの子育て」です!この回では、「育休を取りたい」と願い実際に取得した男性記者3人の話を聞くとともに、女性記者側からのメッセージも掲載しています。それぞれの経験と知恵が、読んでくださったあなたの参考になれば幸いです。(聞き手・川口敦子=フリーランス)

【この回では、次の皆さんの記事を読むことができます】 (記事はこちら)をクリックすると、それぞれの記者の記事に飛びます。スクロールしていって、全員の記事を通して読むことも可能です。


福永健人さん(読売新聞大阪本社)
福永健人さん(読売新聞大阪本社)

2週間の育休は「研修」のようなもの。子育ての現実を目の当たりにしました。

福永さんの記事はこちら



 (プロフィール)

1992年生まれ。2017年、読売新聞大阪本社に入社。松山支局、今治通信部を経て、2023年から社会部枚方支局。2024年9月から社会部青灯(交通)担当。2022年7月、長男の誕生に伴い、2週間の育休を取得。



作山哲平さん(京都新聞社)
作山哲平さん(京都新聞社)

会社員の妻と「それぞれのキャリアを大事にしたい」と話し、1年間の育休を取得しました。

作山さんの記事はこちら (プロフィール) 1988年生まれ。2014年、中日新聞社に入社し、愛知、三重、滋賀各県の支局で警察や市政を担当。長男の誕生に伴って2021年2月から1年間、次男の誕生に伴って2023年8月から約半年間の育休を取得。2024年、京都新聞社に入社。


尾崎修二さん(毎日新聞社)
尾崎修二さん(毎日新聞社)

 育休取得で自らの家事スキルの低さを自覚し、妻に家事を任せきりにしていた態度を改めるきっかけになりました。家事が苦手な男性こそ、育休取得は有意義な経験になるはず。

尾崎さんの記事はこちら (プロフィール) 1988年生まれ、千葉県出身。2013年毎日新聞社に入社。前橋支局、福島支局、東京本社地方部を経て2021年4月から福島・南相馬通信部。シングルファーザーとして育児家事に追われながら、原発事故の影響で今も居住できない帰還困難区域など福島の被災地の取材を主にしている。



福永健人さん 読売新聞大阪本社 2週間の育休は「研修」のようなもの。子育ての現実を目の当たりにしました。

京都駅でドクターイエローを見る福永さん(左)と長男。2024年11月、福永さん提供
京都駅でドクターイエローを見る福永さん(左)と長男。2024年11月、福永さん提供

 長男は2022年生まれで、2歳半を過ぎたところです(2025年1月段階)。長男の誕生時、私は松山支局の県政担当として参院選の取材をしていましたが、妻の里帰り出産に合わせて育休を取りたいと考えました。  本社の両立支援の担当に育休制度や手続きを事前に確認し、支局長には出産予定日の1ヶ月間くらい前に報告、申請をするというプロセスを踏みました。支局長にもすんなり承認してもらえたように記憶しています。

読売新聞大阪本社では、育休は2歳の年度末まで2回に分割して取得可能で、これとはまた別に、生後8週間に28日取得できる出生時育児休業(産後パパ育休)もあります。両立支援担当からの声掛けもあり、全社的に育休取得が推奨される雰囲気があるように感じており、私の周囲でも、2週間から1ヶ月間の育休を取る男性記者が多いです。なかには半年程度、育休を取得した男性記者もいました。

私にとっては、2週間の育休は子育ての「研修」のようなものでした。恥ずかしながら、長男の誕生前には、赤ちゃんの世話で親は夜中に寝られないということも、授乳が3時間ごとに必要だということも知りませんでした。長男の誕生によって、こうした現実を目の当たりにして子育てに関する考え方がすっかり変わったことに、私自身は、育休取得の最大の意義があったように感じています。妻からは、「これからは赤ちゃんを中心に考えて家族3人で暮らしていこう」というマインドをたたき込まれました。  育休を得て仕事を再開した後には、仕事と両立しつつ自分にできる家事は何か、どう家事を分担すると、しっかりと一日のリズムを作れるのかを意識しています。いまは基本的に妻が息子の料理を作っていますが、皿洗いは私の担当。洗濯物を干すのは私で、たたむのは妻と、それぞれが得意な家事をするようにしています。 2023年から2024年にかけて社会部枚方支局に勤務していた間には、息子がイヤイヤ期を迎え、その対応には苦労しました。毎朝のように、午前6時半に起きた息子に付き合わされ、彼が午前9時に保育園に行くまでの1~2時間もの間、一緒に遊んだり、息子の言い分を聞いたりして対応しないといけなかったのですが、始業前にこれに付き合うのはけっこう疲れるもので(苦笑)、子育ては楽しいことばかりではなく、実際に育ててみると責任がいろいろあるものだな、これが親ということなのか、と実感しました。  枚方支局に在籍していたときには家族も支局内に住んでいたため、電話取材中に息子の声が入ってしまうこともしばしばありました。そのときの取材相手は警察や行政の方が多かったのですが、状況を理解してくれる人が多く、取材の話に入るうえで良いきっかけをもらったと思います。

印象深かったのは、「うちも、息子の世話は大変だった」という”子育てコミット派”の取材相手のみならず、そうではなかった男性の警察官から「自分は子育てに関与してこなかったので、そのことをずっと奥さんに言われているよ」などという反応をもらい、心の距離が縮まる経験があったことです。  もしかしたら、これは私が男性だから、子育てをしていることに対してそのような肯定的な反応をもらいやすい、という面があるかもしれず、女性記者の皆さんにはまた別のご苦労もあるのかもしれません。ただ、私個人の経験では「子どもと一緒に仕事をしているなんてけしからん」というネガティブな姿勢をあからさまに示すような取材相手は、男性の年長者であっても今やいないように感じ、時代は変わりつつあるのではないでしょうか。

2024年9月からは社会部青灯(交通)担当になり、息子の大好きな「ドクターイエロー」(東海道・山陽新幹線の点検車両)が引退することから、ドクターイエローの引退関連記事を取材しました。子どもの誕生後、息子のような子どもの読者を想定した記事も書くようになり、「息子が将来読んでも恥ずかしくないような記事を書いていきたい」という思いが強くなってきています。


作山哲平さん 京都新聞社 会社員の妻と「それぞれのキャリアを大事にしたい」と話し、1年間の育休を取得しました。


作山さん(中央)と長男と次男、2025年3月、作山さん提供(画像の一部を処理しています)
作山さん(中央)と長男と次男、2025年3月、作山さん提供(画像の一部を処理しています)

私には、3歳の長男と1歳の次男がいます(2025年2月段階)。結婚当初から、会社員の妻とは「それぞれのキャリアを大事にしよう」という話をしており、家事も半々で分担していました。ですから、妻の妊娠が分かったときから、私は長期間の育休を取得したいという意向を持っていました。妻は妊娠、出産で心身ともに大変なのだから、妻だけに大変な思いをさせるのではなく、お互いフェアに育児に取り組みたいと考えたのです。妻からも、育休取得を前提として「育休はどれぐらい取る予定なの?」と聞かれていました。 ただ私は、長期間の育休を取りたいという意向を、当時勤めていた中日新聞社の上司になかなか言い出せませんでした。「代わりの人員は来るのだろうか」「『休みすぎだ』と思われるのではないか」と迷っていたのです。

最終的には、長男の保育園入園時期を踏まえて1年間の育休を取得しようと決めました。当時、地方支局にいる男性記者が1年間の育休をとるのは珍しいことでした。後輩の男性記者に「実は迷ってんねん」と話したときには、後輩から「将来、自分たちに(育休取得の)番が回ってくることを考えると、いいことだと思います」という言葉をかけてもらいました。私の育休取得で後輩に負担をかけるかもしれないのに、そんな言葉をかけてくれたこと自体、とても有り難かったです。  2021年3月の長男の誕生後は、困りごとの連続、気づきの連続でした。1回8回も赤ちゃんに授乳する必要があるということを知りませんでしたし、赤ちゃんの体の洗い方の順番や抱っこの仕方など、本当に分からないことだらけで、たとえてみれば、私は育児における「新入社員」のようでした。育児に関する一定のスキルを身につけるまでには、3カ月ほどかかったように思います。  同時に、今まで自分がいかに恵まれた立場におり、いろんなことに気がついていなかったということも痛感しました。体が小さく、ほわほわ、弱々な0歳児をベビーカーに乗せて、でこぼこした道を歩くと、わずかな段差でベビーカーが揺れて赤ちゃんが大丈夫かどうかが心配になりました。ベビーカーでは通れないほど道幅が狭いところもありますし、エレベーターがない場所では、上の階に移動することも難しい。育休を取って子育てをするなかで、頻繁にそんな体験をするようになり、障がいのある方々の気持ちに思いをはせることが多くなりました。この気づきは、現在の記者業にも生きていると思います。 

妻と二人三脚で育児をする中で、創意工夫で編み出したものもありました。その一つが「夜勤3日制」です。妻は当初、「私が夜中の授乳を担当する」と言っていたのですが、毎日寝られず辛そうな様子でした。そこで、妻と私の二人で交替しながら、夜中の対応、すなわち「夜勤」をすることにしたのです。


作山さんと、作山さんのパートナーによる「夜勤」のスケジュール(作山さん提供)
作山さんと、作山さんのパートナーによる「夜勤」のスケジュール(作山さん提供)

「夜勤」は3日交替制で、夜勤担当となったら、子どものお風呂の後、夜間と早朝の授乳(またはミルク)に対応します。朝になったら、昼間の担当者と交代して睡眠に入ります。長男が生まれてから半年後にはこのサイクルが完成し、2023年の次男誕生を経た今でも、家庭内夜勤制度は継続中です。「夜勤」が1週間連続だときついですが、3日ごとであれば、多少寝不足でもなんとか乗り越えられ、かつ妻と私のそれぞれが自由に過ごす時間を捻出できる。自分ながら、これはなかなかの発明だったと思っています(笑) 作山さんの記事は、下記の回でも読むことができます。 もうちょっと遅くまで残れるかな…。出張どうしよう…。仕事の進め方ってどうしてる? 「正直しんどい…」 そんなとき、助けてくれた人とは。

尾崎修二さん 毎日新聞社  育休取得で自らの家事スキルの低さを自覚し、妻に家事を任せきりにしていた態度を改めるきっかけになりました。家事が苦手な男性こそ、育休取得は有意義な経験になるはず。



尾崎修二さん(尾崎さん提供)
尾崎修二さん(尾崎さん提供)

2016年7月に長男が生まれた際、妻子の退院後に4週間の育休を取りました。当時、僕は記者4年目で前橋支局にいたのですが、妊娠がわかった時点では支局の先輩記者にも同期の記者にも子どもがいる人はまだおらず、育休取得のイメージがあまりわいていませんでした。

ですが、高齢出産をすることになった妻(当時40歳)から、「『産後の肥立ち』って言葉を知ってる?私は出産直後、疲弊していると思うから、育休を取ってほしい」と言われたことをきっかけに、育休取得を考え始めました。 さらに背中を押してくれたのは、社内の先輩たちです。僕よりも前に育休を取得した県外の男性記者が、育休経験を交えた連載記事を書いており、その記事からは、わが子としっかりと向き合えた父親の「充実感」のようなものが伝わってきました。また、個人的に尊敬していた女性の先輩記者にメールで相談したところ、「絶対に取った方がいいよ。取って新しい道を切り開いた方がいい」とおだてられて、単純ですが「じゃあ取ろう」と(笑)


 宮城県名取市にある子どもの遊び場にて。ロープと板を使って自作したブランコで遊ぶ尾崎さんの長男(左)と当日仲良くなった子ども。            2024年12月、尾崎さん提供。
 宮城県名取市にある子どもの遊び場にて。ロープと板を使って自作したブランコで遊ぶ尾崎さんの長男(左)と当日仲良くなった子ども。 2024年12月、尾崎さん提供。


出産予定日はちょうど参院選の投開票当日だったので、いつから産休に入るか、支局長と相談しました。相談の結果、投開票日よりも早く産まれたら、参院選が終わってから育休に入り、投開票日よりも後に産まれたら、妻の退院日を育休のスタート日にしよう、ということになり、当開票日当日に僕がいるパターンと、僕がいないパターンの2種類の態勢表を作ってもらいました。

実際に長男が生まれたのは投開票日の翌日でした。投開票日の夕方から妻の陣痛が強くなり始め、病院の待機場所で一緒に待つ間、僕は投票率の原稿をチェックしていました。僕が、陣痛が強くなってきた妻のベッドの上にスマートフォンを置き、「原稿OKです」などと返事をしていたところ、スマートフォンを操作する振動が、陣痛に苦しむ妻には気になったようで「不快だから、マジで止めて」と怒られたのが記憶に残っています。 無事に長男が生まれて育休を取ったのはよい経験でしたが、正直に言うと、僕自身は「育休を取りました!」と胸を張って言えるような気持ちはあまりありません。自身の家事スキルが低すぎたからです。これまで家事は、実家にいる学生時代は母任せ、妻と付き合ってからは妻任せで、家事に対する経験も意識も低い状態が続いていました。 そんな状態で育休を取ったからといって、急に家事が上達するはずもありません。豚肉の生姜焼きを作ろうと買い物に行ったものの、肉の種類が分からないために本来買うべき肉を間違えて大失敗したことがありましたし、妻が食べたい料理をテークアウトで買ってきて、料理自体をしないことも多かった。育休期間には「自分は家事ができないなあ」とはっきり自覚しました。 それでも、育休を取ったこと自体はよかったと思います。その理由は二つあって、一つは自らの家事スキルの低さを自覚し、妻に家事を任せきりにしていた態度を改めるきっかけになったこと。二つ目は、かわいくて面白い生まれたての長男と4週間過ごし、育児というものは、親となった人たちが、自分たちの時間と労力をべらぼうに割く必要があるものだと知ったことです。職場に復帰した後には、仕事だけに夢中になる「テンプレ男性社員」にすぐに戻ってしまったのですが、それでも在宅している時間や休日には、できるだけ家事や育児をサポートするように意識していました。 その後、僕は自身の働き方を大きく変える必要性に迫られました。妻が2019年に病気で亡くなり、僕は2歳8カ月の子どもを持つシングルファーザーになったのです。僕は、ひとり親になってようやく、家事や育児をこなす大変さや、自分がいかに妻に頼っていたかをちゃんと実感した気がします。「奥さんが死なないと変われなかったなんて情けないな~、自分」というのが、偽らざる気持ちです。


友人と会話するなかで、「男はどうせ役に立たないから」という理由で育休取得を検討しない人は、男女ともに多いと感じることもあります。ただ、自分の経験から言えるのは、家事が苦手でパートナーに任せきりの男性こそ、育休取得は有意義な経験になるはずだということ。女性の皆さんにも、ぜひパートナーの育休取得を促していってほしいです。



 近所のお気に入りの図書館の絵本コーナーで。尾崎さん提供
 近所のお気に入りの図書館の絵本コーナーで。尾崎さん提供

印南志帆さん 東洋経済新報社 エース級の男性記者が長く育休を取ったりするなど、編集部内の雰囲気は変化しています


印南志帆さん(東洋経済新報社)
印南志帆さん(東洋経済新報社)

 編集者や記者が所属する東洋経済編集局の男女比は、20代〜40代前半の若手中堅世代で2:1と、女性が増えてきました。育児をしながら働く記者や編集者もいますし、スクープをバンバン出すようなエース級の男性記者が長く育休を取ったりするなど、編集部内の雰囲気は変化しています。メディア業界でも、「24時間働けますか」というタイプの記者のみが活躍できるのではなく、男女ともに柔軟な働き方ができ、どんな働き方をする人も公正に評価される仕組み作りが必要だと強く感じています。



 
 
 

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