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 まだ原稿を書き終わっていないのに、子どもが急病に! こんなとき、あなたはどうした?

  • 川口敦子
  • 4月25日
  • 読了時間: 8分

更新日:4月27日


報道現場で、子育てと仕事の両立を目指して日々奮闘する皆さんに、「そこんとこどう?」を聞く企画「ウチらの子育て」です!この回では、子どもが急病のときにどう乗り切ったかを聞きました。それぞれの経験と知恵が、読んでくださったあなたの参考になれば幸いです。(聞き手・川口敦子=フリーランス)

【この回では、次の皆さんの記事を読むことができます】 (記事はこちら)をクリックすると、それぞれの記者の記事に飛びます。スクロールしていって、全員の記事を通して読むことも可能です。



印南志帆さん(東洋経済新報社)
印南志帆さん(東洋経済新報社)

家族がコロナに....息子にパソコンのキーボードをたたかれながら編集する「カオスな状態」を経験しました。

印南さんの記事はこちら (プロフィール) 1990年生まれ。2015年に東洋経済新報社に入社し、流通小売業界、電機業界などの担当記者などを経て、2019年から『週刊東洋経済』の編集チームで勤務。2022年1月に長男を出産し、同3月に職場復帰。2024年5月に巻頭特集「女性を伸ばす会社、潰す会社」を担当。



福永健人さん(読売新聞大阪本社)
福永健人さん(読売新聞大阪本社)

子どもの急病時にどう段取りを組むか、これまでの記者経験が生きています。

福永さんの記事はこちら


 (プロフィール)

1992年生まれ。2017年、読売新聞大阪本社に入社。松山支局、今治通信部を経て、2023年から社会部枚方支局。2024年9月から社会部青灯(交通)担当。2022年7月、長男の誕生に伴い、2週間の育休を取得。



印南志帆さん 東洋経済新報社  家族がコロナに....息子にパソコンのキーボードをたたかれながら編集する「カオスな状態」を経験しました。


 (2024年5月29日、東京都中央区で川口敦子撮影)
 (2024年5月29日、東京都中央区で川口敦子撮影)

 子どもの病気をめぐってこれまでに一番危機的だったのは、自身が編集者として働く『週刊東洋経済』の校了を控えた2022年8月に、夫と長男が新型コロナウイルスに感染し、自宅で隔離生活になったときのことです。 家族がコロナでも締め切りはやってくるわけで、しかも感染症ゆえにベビーシッターや親に保育を頼むこともできません。私は息子にパソコンのキーボードをたたかれながら取材をし、記事を編集するという、「カオスな状態」を経験しました(苦笑)。子どもが足元でわちゃわちゃと絡んでくるなかで、やっとアポイントメントを取れた政治家にオンラインで取材したのですが、何事もなく取材が終わるかどうか、ひやひやした記憶があります。 当時、息子は0歳で聞き分けも何もないので仕方ないのですが、小さい子どもがいる状況での在宅勤務は本当に難しいと痛感しました。リモートワークのイメージ図として、にこやかな表情でパソコンに向かうお母さんと一緒にいる子どもの姿が描かれがちですが、私にとって、そのときの現実はそんなものではなく、家庭と仕事は「混ぜるな、危険」と思ったものです。子どもにとっても、親が家にいるのにかまってもらえないのは不快なもの。この経験をしてからは 、子どもが家にいるときに仕事をせざるを得ない場合は近隣のワークブースを予約するなど、場所を分けるようにしています。

これとはまた別に、2023年にはまだ特集のための原稿を書き終わっていない大詰めのタイミングで、子どもが肺炎で入院したこともありました。私は面会時間の合間に病院の近くのカフェで原稿を書いたのですが、会社に行くことができません。そこで、一緒に記事を作っていた相方の編集者が、会社での作業を一手に引き受けてくれたのですが、とても負担をかけてしまいました。 このときに教訓として学んだのは、何か異変が起こったときに「なるべく自分で何とかしよう」とあがくほど事態は前に進まないということ。できるだけ早い段階で上司に状況を報告し、代替要員の確保などのサポート体制を構築してもらうことが、組織全体にとっては重要なのだということを痛感しました。いまは、保育園で感染症が流行っていたら部長や相方の編集者にチャットでその状況を伝えるなど、たとえ「杞憂」に終わってもこまめに職場と連絡を取るようにしています。 悩ましいのは、子どもの発熱で保育園からのお迎え要請があったときの対応です。もちろんすぐに夫婦の都合のいいほうが保育園に駆けつけていますが、夫の仕事の性質上、急なキャンセルが難しい場合もあります。私の場合も、取材は相手と予定を調整して初めて成立するもの。たとえば企業の社長の取材を予定していたとして、ドタキャンしたら次に社長の時間をいただける機会が来るかはわかりません。親としての自分、記者としての自分との間で葛藤が生じ、そうした思いを抱くこと自体「親として失格なのでは?」と自己嫌悪に陥ります。 自治体には病児保育がありますが、どこもすぐに定員が埋まってしまいます。病児保育の定員に空きがあるかどうかを問い合わせると、「キャンセルが出たら、当日の朝に連絡します」と言われることもしばしばで、私はこれを「人気アイドルのライブのキャンセル待ち状態」と表現していますが、非常に不確実性が高いのです。 そういうときに、ベビーシッターさんに依頼するかどうかは迷いどころです。子どもは人見知りしやすいタイプで、初見の人と仲良くなるのに時間がかかります。自分で育児をしてみて、当たり前ですが子どもにも子どもの意思があることが分かり、その意思を尊重していきたいと思うようになりました。今は、無理をいって実家の両親に来てもらうことが多いです。 2歳になった息子(2024年取材時)は、私たち夫婦、保育士さん、私の両親と妹には心を許してくれています。できればあと1、2カ所、子どもが安心できる居場所ができると緊急事態に備えられるかなと思い、地域の方が短時間預かってくれるファミリー・サポート・センター事業の申し込みを検討しているところです。


(2024年5月29日、東京都中央区で川口敦子撮影)
(2024年5月29日、東京都中央区で川口敦子撮影)

福永健人さん 読売新聞大阪本社

子どもの急病時にどう段取りを組むか、これまでの記者経験が生きています。



福永健人さん(福永さん提供)
福永健人さん(福永さん提供)

 2022年生まれの長男は2歳半を超えてだいぶ熱を出さないようになりましたが、1歳のころにはよく熱を出して、急な対応を迫られることがしばしばありました。特に大変だったのは私が社会部枚方支局に所属していたときで、子どもの急病時には、「3つの選択肢」を組み合わせて日々の暮らしを回していました。当時の私たち家族の「3択」は、①近くの病院が運営している「病児保育」に預ける、②少し離れた場所に住む私の親に看護を頼む、③私または妻が在宅勤務しながら看護する、の3つ。当時のことを少し振り返ってみたいと思います。

息子が1歳のときには、いつ、いきなり子どもが熱を出すかは分からなかったので、妻とは日ごろから、それぞれが息子を病院に連れていける曜日を相談して決めていました。ただ妻は自宅から離れた大学院に通っていたため、突発的な出来事があったときにすぐには帰れないこともありました。そこで、保育園から「熱が出ました」などと急に連絡があったときには、支局周辺で取材をしている私が、迎えに行くことが比較的多かった記憶があります。

ただ問題になったのは、急病になった次の日以降の対応でした。熱を出したり、感染症にかかったりしていたことが判明してから、その次の日以降に保育園に行けないことはほぼ確実ですから、次の日以降をどう乗り切るかを考えないといけない。ここで全体の状況を見渡して、段取りを組む必要が生じました。

「3つの選択肢」のうち、まず「第1の選択肢」は自宅から一番近い病院にある病児保育に連絡を入れて空き状況を確認することでした。ですが、この病児保育で預かってもらえる子どもの定員は10人で埋まっていることが多く、空きがあるかどうか、その確率は半々というところ。息子が1歳だった2023年には計10回ほど病児保育をお願いしました。息子は最初、慣れない環境で過ごすということもあり盛大に泣いていましたが、迎えに行ったときには、保育士さんから紙製の手作りのおもちゃをもらってリラックスした表情を見せており、ほっとしたことを覚えています。

ただ病児保育は空いていない時も多いので、次の手を打っておく必要があります。私の場合、幸いなことに両親が1時間ほど離れた場所に住んでおり、父は退職して時間もあったことから、日頃から息子とよく遊んでくれていました。そこで、保育園にも病児保育にも行けないことが分かった時点で、「第2の選択肢」として両親に電話し、来られるようなら日中に来てもらって看護してもらい、夕方に帰宅した妻にバトンタッチするなど、一日の時間帯ごとにリレーのようにつないでいくことも多かったです。こういうときは、綱渡りでした。 突発的な病気でなくとも、保育園で感染症が流行している季節や、息子の体調が少し悪くなりそうかなと用心するときには、事前に私の両親に1週間程度の予定を確認し、「もしかしたら、来週あたりに看護を依頼することもあるかもしれない」と密に連絡を取るようにしていました。もちろん両親に予定があることもありますから、もしそんなときに息子が体調を崩してしまったら、「第3の選択肢」として、私または妻が在宅で看護しながら仕事や勉強をしていました。

  子どもの急病時にどう段取りを組むかについては、これまでの記者経験が生きていると思います。皆さんも経験があると思いますが、記者であれば、急に会見や取材が入ることがあるもの。とにかくその段階から動き始め、さまざまな原稿を書くためにやらなければならないことを整理し、それらをつないで原稿にして出していく。こうしたトレーニングを積んできたことが、子育てと仕事を回す生活にも役立ったと感じています。

息子は2歳を過ぎてからご飯もしっかり食べるようになって、めったに熱を出さなくなりました。私の父親に急きょヘルプを頼むこともすっかりなくなり、私たち保護者にも余裕ができてきましたが、急病時の1日を回すのに大変だった経験は、とても貴重なものだったと思います。

福永さんの記事は、下記の回でも読むことができます。


 
 
 

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