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【8/5更新】海外帯同編①ある日、妻が海外赴任に!夫が帯同した理由編

  • 川口敦子
  • 5月27日
  • 読了時間: 15分

更新日:8月5日




報道現場で、子育てと仕事の両立を目指して日々奮闘する皆さんに、「そこんとこどう?」を聞く企画「ウチらの子育て」です!この回では、報道実務者『あるある』の転勤のなかでも、特に配偶者の海外赴任を取り上げます。記事は2回続きで、その①では妻が海外赴任になったとき、「帯同する」と選択した夫にその理由を聞きました。それぞれの経験と知恵が、読んでくださったあなたの参考になれば幸いです。(聞き手・川口敦子=フリーランス) 追記:2026年8月5日、記事を追加しました。

【この回では、次の皆さんの記事を読むことができます】 (記事はこちら)をクリックすると、それぞれの記者の記事に飛びます。スクロールしていって、全員の記事を通して読むことも可能です。

細谷啓史さん(共同通信社)
細谷啓史さん(共同通信社)

わが家の主力選手は交代していくわけですから、主力となる選手には気持ちよく打席に立ってもらいたい、彼女に頑張ってもらわないと、という気持ちでした。 (細谷さんの記事はこちら。妻の比嘉杏里さんのコメントはこちら (プロフィール)

1965年生まれ。1990年、共同通信社に入社。釧路支局、福島支局などを経て1997年から社会部。警視庁などを担当し、愛知、大阪でも警察キャップを務める。東京支社編集部デスク、同部長などを経て2023年6月に退職し、同年8月から妻の比嘉杏里さんの米国ワシントン赴任に帯同。2025年8月帰国後に復職し、人材育成室長。

及川光昭さん(フリーランス・ディレクター)
及川光昭さん(フリーランス・ディレクター)

妻は以前から海外支局で働くことを目標にしてきました。私としても「いつか、そうなるのかな」と思っていましたし、「子どもたちにとっても、海外での生活はよい経験になる」とポジティブに受け止めました。(及川さんの記事はこちら (プロフィール) 1978年生まれ。2001年に制作会社に入社。2018年に独立し、日本テレビのドキュメンタリー番組や調査報道を担当。主な映像作品に「起立性調整障害」「醜形恐怖症」「境界知能の受刑者」を取材した企画がある。2025年6月、妻のロンドン赴任のため休業し、渡英。


小西一禎さん(大学教授、ジャーナリスト)
小西一禎さん(大学教授、ジャーナリスト)

夫の帯同が「これからは、もっと『普通』になるだろう」という言葉を、取材先の政治家からもらったのには励まされました。(小西さんの記事はこちら (プロフィール)1972年生まれ。1996年、共同通信社に入社し、政治部で首相官邸や外務省などを担当。2017年に妻の米国赴任に伴い会社の休職制度を男性として初めて取得、妻・二児と渡米した。在米中に退社し2025年から千葉科学大学危機管理学部教授。著書に『妻に稼がれる夫のジレンマ-共働き夫婦の性別役割意識をめぐって』(ちくま新書)など。


細谷啓史さん (共同通信社) わが家の主力選手は交代していくわけですから、主力となる選手には気持ちよく打席に立ってもらいたい、彼女に頑張ってもらわないと、という気持ちでした。

細谷啓史さん(左)と比嘉杏里さん(2026年5月10日、東京都内で川口敦子撮影)
細谷啓史さん(左)と比嘉杏里さん(2026年5月10日、東京都内で川口敦子撮影)

共同通信社で長く事件事故の出稿に携わってきた私が、なぜ配偶者の比嘉のワシントン赴任に帯同することにしたのか。そこにはいくつかの理由があります。

まず大前提として、私にとって女性が働き続けるのは自然なことだという認識が元々ありました。母親と姉がずっと働いていたこともあって、「結婚する人に仕事を辞めてもらおう」という発想はなかったのです。おふくろからも「あんた結婚して、働いている相手に家事もさせてなんてこと、お母さんは許さへんで」と言い含められていました(笑) 比嘉と結婚して2012年に長男が、2017年に双子の長女と次男が生まれてからは、毎月の給料が飛ぶぐらいの勢いでベビーシッターをフル活用していました。


長男が小学校に、双子が保育園に通い出すと、子ども3人の世話をするにはシッターは1人では足りない。そこで2人のシッターに毎月15回ほどの頻度で、子どもたちのお迎えと帰宅後の寝かしつけまでを依頼していました。 当時、小学生だった長男は家の近くの私立の学童に、また下の双子は午後8時まで開いている保育園に通っていました。ありがたいことに学童も保育園も夕ご飯を出してくれるところだったので、シッターの依頼日には、子どもたちは学童と保育園でそれぞれ夕ご飯を食べた上でシッターと帰宅し、お風呂に入って寝かしつけまでしてもらって、私たちが帰宅するのは真夜中近くになる。こんな生活を数年間にわたって続けてきました。


そんななかで比嘉のワシントン赴任の話が持ち上がりました。一般的に言って、夫婦ともにバリバリと働くカップルのどちらかが転勤することになったときには、女性側が「仕事を諦める」という選択を取らざるをえないことが多いかと思います。ですが私は、比嘉が「ワシントンに行きたい」と言うからには、「絶対に行かさんと」という気持ちでした。


なぜなら、そのとき比嘉は記者として活躍のピークの時期を迎えつつあったからです。その一方で、比嘉よりも15歳年上の私は管理職を経て、間もなく定年退職を迎える時期に差し掛かっており、キャリアとしては「これからバリバリ働く」というフェーズではなかった。 この家の稼ぎ頭は、もう何年かすると比嘉になる。わが家の主力選手は交代していくわけですから、主力となる選手には気持ちよく打席に立ってもらいたい、彼女に頑張ってもらわないと、という気持ちでした。


細谷啓史さん(2026年5月10日、東京都内で川口敦子撮影)
細谷啓史さん(2026年5月10日、東京都内で川口敦子撮影)

私は会社とも相談し、自分の年齢のことも考慮のうえでいったん退職し、家族とともにワシントンに向かうことにしました(2025年7月取材時点。同年8月に帰国後、復職)。

正直に言えば、私の退職に関して周りの声はいろいろありました。女性の記者やデスク、管理職は総じて好意的な反応で、社内でばったり会ったときに「よくやった!」と声をかけられたりもしましたが(笑)、その一方で、男性、特に同じ昭和のオヤジ世代のなかにはネガティブな反応を示す人もおり、「え!仕事やめるの?」と驚かれたりもしました。


近年、若手記者のなかには、海外特派員を打診されても家庭の事情などを理由に断るケースもあると聞きます。会社側は、単に「行ってこい」と指示するのではなく、仕事と家庭のバランスの取り方については記者それぞれの考えがあることを認識したうえで、丁寧に話を進めていく必要があると思います。


ただ一方で、私自身はやはり現場に行って空気感を伝える記者の仕事に誇りを持ってきましたし、後輩の記者たちともその気持ちを共有したい。記者の側も、そのときどきの状況を考慮しながら「よし、このチャンスに乗ってみよう」と思い切ることも、時には大事になるのではないでしょうか。後輩の記者の皆さんには、目標とする仕事に「チャレンジしたい」という気持ちを大切にしてほしい、そして家族や上司と相談しながらうまい解決策を探していってほしいと願っています。 細谷さんの記事は、下記の回でも読むことができます。 海外帯同編②「駐夫」として暮らしてどうだった編

比嘉杏里さん (共同通信社政治部) 男女問わず、もし海外特派員になりたいという気持ちがあるのなら、あきらめずに声を上げ続けることがまず大事。会社には、ぜひ子育て中の記者と一緒に解決策を探していってほしいと思います。


比嘉杏里さん(共同通信社)
比嘉杏里さん(共同通信社)

(プロフィール)

1980年生まれ、沖縄県出身。2005年、共同通信社に入社。社会部、名古屋編集部、奈良支局、政治部、千葉支局、政治部、那覇支局を経て2023年8月にワシントン支局赴任。2025年9月に帰国し、政治部外務省クラブ担当。子どもは2012年生まれの長男、2017年生まれの長女と次男の双子の3人。2020年にも報道実務家フォーラムの記事にご協力いただいた。

2012年に長男が、2017年に長女と次男の双子が生まれてからは、どんなに仕事に没頭しているときでも、いつも頭の片隅では「何時までにシッターに連絡しないといけない」と考える自分がおり、日々、仕事と子育ての段取りを組み続けてきました。


政治部の上司から、那覇支局での任期後のワシントン赴任を打診された当初は「行きたいけれど、単身赴任して3人の子どもと離れ離れに暮らすのは寂しくて耐えられない。もしも子どもと一緒に赴任するならば、現地で住み込みのお手伝いさんを雇うしかないだろう」と思っていました。


そんな風に考えていたところで、夫が帯同するという決断をしてくれました。ワシントン支局の仕事は忙しく、もし夫が一緒に来てくれなかったら、特派員としての任務を満足に果たすのは難しかったと思います。いつも家に大人がいるというのは本当にありがたいことで、夫が子どもに関するあれやこれやの負担を全て担ってくれました。ワシントン赴任中、私は完全にそうしたことから解放されて、何の遠慮もなく仕事にまい進でき、我ながら「仕事をしているな-」という実感がありました。


男女問わず、もし海外特派員になりたいという気持ちがあるのなら、あきらめずに声を上げ続けることがまず大事だと思います。そして、どんな条件をクリアすれば、仕事と子育ての両方を進められるかを考え、信頼できる人たちと相談してください。


私の場合は、政治部のかつての上司にとても助けられました。共同通信社ワシントン支局に子連れの女性記者が赴任するのは初めてのことで、社内には私の赴任に関していろんな意見もあったそうですが、上司が周りを説得してくれたと聞いています。


上司や人事など会社の担当者の方々には、家庭ごとに事情は異なることを認識していただき、ぜひ子育て中の記者と一緒に解決策を探していってほしいと思います。一人一人に寄り添った丁寧な人事を進めていくことは、結果的に若手記者の離職防止にも寄与するのではないでしょうか。


比嘉杏里さん(2026年5月10日、東京都内で川口敦子撮影)
比嘉杏里さん(2026年5月10日、東京都内で川口敦子撮影)

比嘉さんの記事は、下記の回でも読むことができます。 海外帯同編②「駐夫」として暮らしてどうだった編 育児中の政治部記者を支えるもの(2020年5月)

及川光昭さん (フリーランス・ディレクター) 妻は以前から海外支局で働くことを目標にしてきました。私としても「いつか、そうなるのかな」と思っていましたし、「子どもたちにとっても、海外での生活はよい経験になる」とポジティブに受け止めました。

及川さん(左から2番目)と妻、2人の子ども。2025年10月、長女の誕生日にロンドン市内の自宅にて、及川さん提供(画像の一部を処理しています)
及川さん(左から2番目)と妻、2人の子ども。2025年10月、長女の誕生日にロンドン市内の自宅にて、及川さん提供(画像の一部を処理しています)

私は、日本テレビなどの報道番組の制作に携わるフリーランスのディレクターです。これまで事件や事故、災害などを取材するとともに、調査報道の一環として、学校の校則の問題や「闇バイト」で逮捕された境界知能の受刑者など、社会と人に焦点を当てた問題に携わってきました。

 

これまでディレクターとしてさまざまな企画を立案してきましたが、直近の仕事として印象に残っているのは、「every.特集」で放映した、社会の中で生きづらさを感じる人々のシリーズです。

 

たとえば、朝起きることが困難な病気「起立性調節障害」になった中学生の女性を取材したときには、女性の寝室にカメラを置かせてもらってその現状を撮影し、朝起きられないのは「サボり」なのではなく、「体の病気」だと医師が診断していることを紹介しました。

また、自らの顔や身体に大きな欠点があると強く思い込んでしまう精神疾患「醜形恐怖症」の女性の取材では、センシティブな質問をしたり、女性がお化粧をしたりする場面では、本人がありのままの姿を見せられるよう、時間をかけながらやりとりを進めました。

 

こうしたドキュメンタリーを企画したのは、まず視聴者の方々に「こういう病気があるんだ」ということを知ってほしかったからです。もし、番組を見ることで「こういう病気があるんだ」という知識を持っていたら、誰かを軽い気持ちで「サボりだ」「怠けだ」「可愛くない」などと断じる人は、少なくなるでしょう。さまざまな事情で生きづらさを感じたり、困難を抱えたりする人たちが、社会とつながるきっかけになれば、という思いもありました。

 

プライベートでは、2017年にテレビ局に勤務する女性と結婚し、2019年に長女、2021年に次女を授かりました。子どもが生まれて親になったことで、取材の際に「親の視点」で「自分の子どもだったらどうだろうか」と考えるようになったのは、自分の中で変化した部分です。


「起立性調節障害」の中学生の女性の取材では、母親が「めまいや吐き気の症状に苦しむ娘をそのままにして仕事に出かけられない」と考えて仕事を辞めたと聞いたのですが、「自分だったら、果たしてそこまでできるだろうか」と考え込みました。


そんな風に、人に会って取材して、映像を作るという仕事に没頭していた2025年、妻から「3年間のロンドン支局への赴任が決まった」と聞きました。妻は、以前から海外支局で働くことを目標にしてきました。ですから、私としても「いつか、そうなるのかな」と思っていましたし、実際に英国赴任が決まったときには「子どもたちにとっても、海外での生活はよい経験になる」とポジティブに受け止めました。

及川さん(右)と妻、2人の子ども。2026年6月、次女の幼稚園の運動会(ロンドン市内)、及川さん提供(画像の一部を処理しています)
及川さん(右)と妻、2人の子ども。2026年6月、次女の幼稚園の運動会(ロンドン市内)、及川さん提供(画像の一部を処理しています)

妻は、長女と次女を2歳差で妊娠・出産しており、育休取得期間にキャリアがストップしていたことも知っていましたから、今回のロンドン駐在を実現させないのは、あまりにもったいない。「だったら家族みんなで一緒に行こう」と伝えたところ、妻からは「ありがとう」という言葉が返ってきました。もちろん、一フリーランスとしては、仕事が途切れる怖さや不安はありますから、「帯同までするべきなのだろうか」とためらう人の気持ちも分かります。

ただ、私の場合は、勤めていた制作会社を40歳前に辞めて独立して以降、会社を立ち上げており、自分の身の上は比較的決めやすかったこと、経営する会社にもともと従業員はおらず、休業しても従業員に迷惑をかけることはないこと、仕事先の方々とは長年のつきあいがあり、信頼関係も醸成されていていると思えていたことなどを総合的に判断し、家族とともに渡英しようと決めました。 ただ、実際にロンドンで暮らすようになると、赴任前に思っていた以上に「精神的にきつい」と思う局面を迎えることとなります。

及川さんの記事は、以下でも読むことができます。 海外帯同編②「駐夫」として暮らしてどうだった編


小西一禎さん (大学教授、ジャーナリスト) 夫の帯同が「これからは、もっと『普通』になるだろう」という言葉を、取材先の政治家からもらったのには励まされました。

(2025年7月9日、千葉県銚子市で川口敦子撮影)
(2025年7月9日、千葉県銚子市で川口敦子撮影)

私は1996年から記者として働き、2005年からは政治部で首相官邸や外務省などを担当しました。昼夜なく取材に走り回っており、今思えば相当『マッチョ』な働き方だったと思います。 製薬会社で働く妻と結婚後、2012年に長女が、2014年に長男が生まれた後も、自分の働き方にはさほどの変化がありませんでした。時短勤務だった妻に家事や育児はほぼゆだねており、私が家事育児を担う割合はよくて2割程度でした。


小西さんと妻、2人の子ども。コロナ禍の2021年2月、   ニューヨーク公共図書館本館、小西さん提供       (画像の一部を処理しています)
小西さんと妻、2人の子ども。コロナ禍の2021年2月、   ニューヨーク公共図書館本館、小西さん提供       (画像の一部を処理しています)

ところが2016年、妻から「希望している海外駐在の話が決まったら、どうする?」という話を聞きました。すぐには実現しないだろうと思い「決まったら行くよ」と軽い気持ちで答えましたが、その一方で「もし実現したら、俺のキャリアはどうなるんだ。俺はどうすればいいんだ」と恐怖心に近い思いを抱きました。 その後、妻の米国駐在の話が本決まりし、私は今後の道について考えざるを得なくなり、会社の休職制度や帯同のことを調べ始めました。これまで築いたキャリアを、一時的とはいえ本当に中断するのか。数年間、日々動く政治の取材現場を離れてしまってその後、復帰できるのか。日本で家事や育児への関与の度合いが低かった自分が、米国で「主夫」なんて本当にできるのか、不在時に職場には迷惑をかけるのではないか-そんな不安な気持ちばかりが募ったことを覚えています。


職場からは「行ってこい」との肯定的な意見もあれば、「あいつは終わった」などと否定的な意見もありましたが、取材先の一人で、三権の長も務めたある政治家から「これからは、そういうことがもっと『普通』になるだろうから、君はそのよい先例になる」という言葉をもらったのには、励まされました。


取材先や友人の意見も参考にしながら、私は会社の休職制度を男性としては初めて使い、妻と子どもとともにマンハッタンの対岸・ニュージャージーに行くことを決めました。社内の手続きを進めていくうちに、外形的にはどんどん引き返せなくなっていきます。心のどこかで不安な思いを抱えつつも、「もう前を向いて突き進むしかない」と渡米に向けた準備を進めました。

キャンピングカーでグランドサークルを一周。パワースポットのセドナを訪れた小西さんの長女と長男、2019年7月、小西さん提供   (画像の一部を処理しています)
キャンピングカーでグランドサークルを一周。パワースポットのセドナを訪れた小西さんの長女と長男、2019年7月、小西さん提供   (画像の一部を処理しています)

帯同について調べるなかで海外駐在についてインターネットで検索すると、駐在する配偶者についていくことを意味する「駐妻」という言葉は山ほどヒットしましたが、配偶者に帯同して海外に行く男性についての情報は、ほとんど見当たりませんでした。私のような立場に置かれた人はほかにいるはずなのに、「みんなどうしているのだろう」と率直な疑問を抱きました。

そこで私は、配偶者に帯同して海外に行く男性を「駐夫」(ちゅうおっと)と命名し、米国滞在中の2018年、「世界に広がる駐夫・主夫友の会」を立ち上げました。現役の駐夫やその経験者、駐夫になるかどうか迷っている男性たちがオンラインで集う場所を、Facebookで作ったのです。


日本でのキャリアを中断して配偶者に帯同し、誰も知り合いがいないところで主夫をするのは孤独なものです。「オトコのプライド」が邪魔をして、妻にもその孤独な思いを吐き出せないという男性たちの心のよりどころになればいいな、という考えでした。発足当時のメンバーは私も入れて4人でしたが、今では240人を超え、世界各地で交流が続いています(2026年5月段階)。


また「駐夫」の皆さんと話すうちに、彼らが異国の地でどういう経験を積み、帰国後にどのようにキャリアを構築しようとしているのかということに興味がわいてきて、2021年の帰国後に大学院に入学。皆さんの協力を得てインタビューを実施し、修士論文を執筆した後、論文を大幅に加筆・修正した書籍『妻に稼がれる夫のジレンマ-共働き夫婦の性別役割意識をめぐって』を出版しました。


(2025年7月9日、千葉県銚子市で川口敦子撮影)
(2025年7月9日、千葉県銚子市で川口敦子撮影)

小西さんの記事は、下記の回でも読むことができます。 海外帯同編② 「駐夫」として暮らしてどうだった編

 
 
 

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