海外帯同編①ある日、妻が海外赴任に!夫が帯同した理由編
- 川口敦子
- 23 時間前
- 読了時間: 11分

報道現場で、子育てと仕事の両立を目指して日々奮闘する皆さんに、「そこんとこどう?」を聞く企画「ウチらの子育て」です!この回では、報道実務者『あるある』の人事異動のなかでも、特に配偶者の海外赴任を取り上げます。記事は2回続きで、その①では、妻が海外赴任になったとき、「帯同する」と選択した夫にその理由を聞きました。それぞれの経験と知恵が、読んでくださったあなたの参考になれば幸いです。(聞き手・川口敦子=フリーランス)
【この回では、次の皆さんの記事を読むことができます】
(記事はこちら)をクリックすると、それぞれの記者の記事に飛びます。スクロールしていって、全員の記事を通して読むことも可能です。
![]() | |
![]() | 夫の帯同が「これからは、もっと『普通』になるだろう」という言葉を、取材先の政治家からもらったのには励まされました。 (小西さんの記事はこちら) (プロフィール) 1972年生まれ。1996年、共同通信社に入社し、政治部で首相官邸や外務省などを担当。2017年に妻の米国赴任に伴い会社の休職制度を男性として初めて取得、妻・二児と渡米した。在米中に退社し2025年から千葉科学大学危機管理学部教授。著書に『妻に稼がれる夫のジレンマ-共働き夫婦の性別役割意識をめぐって』(ちくま新書)など。 |
細谷啓史さん
(共同通信社)
わが家の主力選手は交代していくわけですから、主力となる選手には気持ちよく打席に立ってもらいたい、彼女に頑張ってもらわないと、という気持ちでした。

共同通信社で長く事件事故の出稿に携わってきた私が、なぜ配偶者の比嘉のワシントン赴任に帯同することにしたのか。そこにはいくつかの理由があります。
まず大前提として、私にとって女性が働き続けるのは自然なことだという認識が元々ありました。母親と姉がずっと働いていたこともあって、「結婚する人に仕事を辞めてもらおう」という発想はなかったのです。おふくろからも「あんた結婚して、働いている相手に家事もさせてなんてこと、お母さんは許さへんで」と言い含められていました(笑) 比嘉と結婚して2012年に長男が、2017年に双子の長女と次男が生まれてからは、毎月の給料が飛ぶぐらいの勢いでベビーシッターをフル活用していました。
長男が小学校に、双子が保育園に通い出すと、子ども3人の世話をするにはシッターは1人では足りない。そこで2人のシッターに毎月15回ほどの頻度で、子どもたちのお迎えと帰宅後の寝かしつけまでを依頼していました。 当時、小学生だった長男は家の近くの私立の学童に、また下の双子は午後8時まで開いている保育園に通っていました。ありがたいことに学童も保育園も夕ご飯を出してくれるところだったので、シッターの依頼日には、子どもたちは学童と保育園でそれぞれ夕ご飯を食べた上でシッターと帰宅し、お風呂に入って寝かしつけまでしてもらって、私たちが帰宅するのは真夜中近くになる。こんな生活を数年間にわたって続けてきました。
そんななかで比嘉のワシントン赴任の話が持ち上がりました。一般的に言って、夫婦ともにバリバリと働くカップルのどちらかが転勤することになったときには、女性側が「仕事を諦める」という選択を取らざるをえないことが多いかと思います。ですが私は、比嘉が「ワシントンに行きたい」と言うからには、「絶対に行かさんと」という気持ちでした。
なぜなら、そのとき比嘉は記者として活躍のピークの時期を迎えつつあったからです。その一方で、比嘉よりも15歳年上の私は管理職を経て、間もなく定年退職を迎える時期に差し掛かっており、キャリアとしては「これからバリバリ働く」というフェーズではなかった。 この家の稼ぎ頭は、もう何年かすると比嘉になる。わが家の主力選手は交代していくわけですから、主力となる選手には気持ちよく打席に立ってもらいたい、彼女に頑張ってもらわないと、という気持ちでした。

私は会社とも相談し、自分の年齢のことも考慮のうえでいったん退職し、家族とともにワシントンに向かうことにしました(2025年7月取材時点。同年8月に帰国後、復職)。
正直に言えば、私の退職に関して周りの声はいろいろありました。女性の記者やデスク、管理職は総じて好意的な反応で、社内でばったり会ったときに「よくやった!」と声をかけられたりもしましたが(笑)、その一方で、男性、特に同じ昭和のオヤジ世代のなかにはネガティブな反応を示す人もおり、「え!仕事やめるの?」と驚かれたりもしました。
近年、若手記者のなかには、海外特派員を打診されても家庭の事情などを理由に断るケースもあると聞きます。会社側は、単に「行ってこい」と指示するのではなく、仕事と家庭のバランスの取り方については記者それぞれの考えがあることを認識したうえで、丁寧に話を進めていく必要があると思います。
ただ一方で、私自身はやはり現場に行って空気感を伝える記者の仕事に誇りを持ってきましたし、後輩の記者たちともその気持ちを共有したい。記者の側も、そのときどきの状況を考慮しながら「よし、このチャンスに乗ってみよう」と思い切ることも、時には大事になるのではないでしょうか。後輩の記者の皆さんには、目標とする仕事に「チャレンジしたい」という気持ちを大切にしてほしい、そして家族や上司と相談しながらうまい解決策を探していってほしいと願っています。
細谷さんの記事は、下記の回でも読むことができます。
海外帯同編②「駐夫」として暮らしてどうだった編
比嘉杏里さん (共同通信社政治部) 男女問わず、もし海外特派員になりたいという気持ちがあるのなら、あきらめずに声を上げ続けることがまず大事。会社には、ぜひ子育て中の記者と一緒に解決策を探していってほしいと思います。
![]() | (プロフィール) 1980年生まれ、沖縄県出身。2005年、共同通信社に入社。社会部、名古屋編集部、奈良支局、政治部、千葉支局、政治部、那覇支局を経て2023年8月にワシントン支局赴任。2025年9月に帰国し、政治部外務省クラブ担当。子どもは2012年生まれの長男、2017年生まれの長女と次男の双子の3人。2020年にも、報道実務家フォーラムの記事にご協力いただいた。 |
2012年に長男が、2017年に長女と次男の双子が生まれてからは、どんなに仕事に没頭しているときでも、いつも頭の片隅では「何時までにシッターに連絡しないといけない」と考える自分がおり、日々、仕事と子育ての段取りを組み続けてきました。
政治部の上司から、那覇支局での任期後のワシントン赴任を打診された当初は「行きたいけれど、単身赴任して3人の子どもと離れ離れに暮らすのは寂しくて耐えられない。もしも子どもと一緒に赴任するならば、現地で住み込みのお手伝いさんを雇うしかないだろう」と思っていました。
そんな風に考えていたところで、夫が帯同するという決断をしてくれました。ワシントン支局の仕事は忙しく、もし夫が一緒に来てくれなかったら、特派員としての任務を満足に果たすのは難しかったと思います。いつも家に大人がいるというのは本当にありがたいことで、夫が子どもに関するあれやこれやの負担を全て担ってくれました。ワシントン赴任中、私は完全にそうしたことから解放されて、何の遠慮もなく仕事にまい進でき、我ながら「仕事をしているな-」という実感がありました。
男女問わず、もし海外特派員になりたいという気持ちがあるのなら、あきらめずに声を上げ続けることがまず大事だと思います。そして、どんな条件をクリアすれば、仕事と子育ての両方を進められるかを考え、信頼できる人たちと相談してください。
私の場合は、政治部のかつての上司にとても助けられました。共同通信社ワシントン支局に子連れの女性記者が赴任するのは初めてのことで、社内には私の赴任に関していろんな意見もあったそうですが、上司が周りを説得してくれたと聞いています。
上司や人事など会社の担当者の方々には、家庭ごとに事情は異なることを認識していただき、ぜひ子育て中の記者と一緒に解決策を探していってほしいと思います。一人一人に寄り添った丁寧な人事を進めていくことは、結果的に若手記者の離職防止にも寄与するのではないでしょうか。

比嘉さんの記事は、下記の回でも読むことができます。 海外帯同編②「駐夫」として暮らしてどうだった編 育児中の政治部記者を支えるもの(2020年5月)
小西一禎さん
(大学教授、ジャーナリスト)
夫の帯同が「これからは、もっと『普通』になるだろう」という言葉を、取材先の政治家からもらったのには励まされました。

私は1996年から記者として働き、2005年からは政治部で首相官邸や外務省などを担当しました。昼夜なく取材に走り回っており、今思えば相当『マッチョ』な働き方だったと思います。 製薬会社で働く妻と結婚後、2012年に長女が、2014年に長男が生まれた後も、自分の働き方にはさほどの変化がありませんでした。時短勤務だった妻に家事や育児はほぼゆだねており、私が家事育児を担う割合はよくて2割程度でした。

ところが2016年、妻から「希望している海外駐在の話が決まったら、どうする?」という話を聞きました。すぐには実現しないだろうと思い「決まったら行くよ」と軽い気持ちで答えましたが、その一方で「もし実現したら、俺のキャリアはどうなるんだ。俺はどうすればいいんだ」と恐怖心に近い思いを抱きました。 その後、妻の米国駐在の話が本決まりし、私は今後の道について考えざるを得なくなり、会社の休職制度や帯同のことを調べ始めました。これまで築いたキャリアを、一時的とはいえ本当に中断するのか。数年間、日々動く政治の取材現場を離れてしまってその後、復帰できるのか。日本で家事や育児への関与の度合いが低かった自分が、米国で「主夫」なんて本当にできるのか、不在時に職場には迷惑をかけるのではないか-そんな不安な気持ちばかりが募ったことを覚えています。
職場からは「行ってこい」との肯定的な意見もあれば、「あいつは終わった」などと否定的な意見もありましたが、取材先の一人で、三権の長も務めたある政治家から「これからは、そういうことがもっと『普通』になるだろうから、君はそのよい先例になる」という言葉をもらったのには、励まされました。
取材先や友人の意見も参考にしながら、私は会社の休職制度を男性としては初めて使い、妻と子どもとともにマンハッタンの対岸・ニュージャージーに行くことを決めました。社内の手続きを進めていくうちに、外形的にはどんどん引き返せなくなっていきます。心のどこかで不安な思いを抱えつつも、「もう前を向いて突き進むしかない」と渡米に向けた準備を進めました。

帯同について調べるなかで海外駐在についてインターネットで検索すると、駐在する配偶者についていくことを意味する「駐妻」という言葉は山ほどヒットしましたが、配偶者に帯同して海外に行く男性についての情報は、ほとんど見当たりませんでした。私のような立場に置かれた人はほかにいるはずなのに、「みんなどうしているのだろう」と率直な疑問を抱きました。
そこで私は、配偶者に帯同して海外に行く男性を「駐夫」(ちゅうおっと)と命名し、米国滞在中の2018年、「世界に広がる駐夫・主夫友の会」を立ち上げました。現役の駐夫やその経験者、駐夫になるかどうか迷っている男性たちがオンラインで集う場所を、Facebookで作ったのです。
日本でのキャリアを中断して配偶者に帯同し、誰も知り合いがいないところで主夫をするのは孤独なものです。「オトコのプライド」が邪魔をして、妻にもその孤独な思いを吐き出せないという男性たちの心のよりどころになればいいな、という考えでした。発足当時のメンバーは私も入れて4人でしたが、今では240人を超え、世界各地で交流が続いています(2026年5月段階)。
また「駐夫」の皆さんと話すうちに、彼らが異国の地でどういう経験を積み、帰国後にどのようにキャリアを構築しようとしているのかということに興味がわいてきて、2021年の帰国後に大学院に入学。皆さんの協力を得てインタビューを実施し、修士論文を執筆した後、論文を大幅に加筆・修正した書籍『妻に稼がれる夫のジレンマ-共働き夫婦の性別役割意識をめぐって』を出版しました。

小西さんの記事は、下記の回でも読むことができます。 海外帯同編② 「駐夫」として暮らしてどうだった編









コメント